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東北でコロナ感染者が少ないわけ?

なんで東北でコロナになるひとが少ないのかなと不思議だった
でも長期で東北に来てみてなんとなく実感した

人と人との距離が最初から遠い。

自分達に不馴れなものに不気味さと抵抗を非常に強く感じる。

一度Uターンしてしばらく暮らしていたから、東北の閉鎖性はすごく感じてきた
その反面、東北の暖かさと親しみやすさも感じてきた

両方の面をもっている

 

でも今回は、世界全体がおそれで曇っているなか、
人々は閉鎖性を強くし、つまり東北人特有の弱点がつよまり、
あのいやーな東北特有の保守性が、コロナで露呈している

私は前回も書いたけど、コロナにはスピリチュアルな課題があって起きているので
物質的肉体だけでなく、全世界のありとあらゆる問題課題を見せつけ
それを露出、噴出させるために出てきてしまった

この東北の閉塞感も、その1つだと思う
実際東北についたら、感染者はずっと少ないのに、
異様なほど人を遠ざける

この間東京でマスク購入の際に並んでいるおばさまと立ち話をしていたが、

ごく普通にマスクの噂をして終わったそののりで、仙台で「どれくらい並ぶんですか?」ときくと、

「ちょっとあっちいってよ、あっち!近寄ったら菌つくの!」

商店街に響くほどでかい声で追い返された

別にたいして近寄ったわけでもない

大体そんな得たいの知れないおばさんにこっちも接近しない

ちなみに菌とウイルスは別物である

とにかく、離れて話してください、と言われまくった
手を洗ってから話しかけろと言われた
開店しているはずなのに、「ケーキも注文したいんですけど」
といったら、思いきりいやな顔をされた
「ケーキも、ですか?」

だって。お客さんにいう言葉か?

とにかく、歩けば離れる、近寄れば離れる
すごく密着しようとしているのでもなおのにあとずさりする

これじゃ感染しないよね

それはエチケットかもしれない
それは大事なルールかもしれない
それは今はやらなくてはいけないことかもしれない

でも、異様なまでに恐れが蔓延していることで
はっきりいってコロナの蔓延はずっと続くと思う

ルールを守ることは大事だが、
顔がやっと判別できるくらい離れて話さなければならないとでもいうのか

ルールを守ることは大事だが
人に対する態度や反応に思いやりがなくていいのか?

私はバイキンマンではない

テレビでは、「これではお客がこなくてつぶれますよ」
とばかり、経営する方の困った姿ばかりいっている

でも、逆に自分はそのくせコロナがこわくて、
お客さんにどういう対応をしているのか客観的に見えているだろうか?

こわさあまりに、ウイルスとでも話しているような態度では、
お客はすぐにわかるし、例えばレストランならすぐに味に出る

 

私は今日用があって資生堂にいった
私は途中でマスクがはずれたのでそのまま話していたが
スタッフは嫌な顔1つせず、丁寧に説明してくれた

そして、帰るときに全員が
「来てくださりありがとうございました」

と心を込めていってくれた

さすが世界レベルの資生堂である

つぶれそうな店は、確かに頑張っている人もいるだろうけど、
自分がコロナになりたくないあまり、態度が自分本意になっていないかどうか、
考えてみる必要がある

こんな時期に、わざわざお店に来てくれる、たった1人のお客さんを
心を込めて大切に思えるかどうかが、
コロナがどうなろうと、つぶれるかつぶれないかの違いだと思う

話がずれたが、とにかく東北での、
感染者とは嫌でも接触しないという、
武士の覚悟みたいな固い思いと排除性には、参った

早く帰りたい
ある意味こっちの方がつらい

東北は寒いからどうしても排除性がある
この記事を見て不快な人もいるかもしれないが
その点については誰も否定できないと思う

寒い雪国の東北では、どうしても、
自分にはよくわからないものは排除したい、仲間内だけでやっていたい、という
閉鎖的なところがある

それを、人と距離をおき感染者をださなかったから東北えらいね、になるのか、
それとも、結局人と人とのハートの距離がもとから遠いからじゃないかと非難するのか

何が正しい、というのはないが、
私たちの距離が今、異様なまでに離れていることは事実である

必要以上に離れているのは事実である

「サピエンス全史」のハラリ氏の寄稿には感動した
いまこそグローバルな信頼と団結を、と彼は真剣に書いていた

でも、国際交流で何百人と関わってきた私には
それがないからこそ、コロナはスピリチュアルレベルでは
人間に人間性の崩壊として物質化したのだ

信頼?

団結?

それは震災の時でさえ、メディアは取り上げたが本当にはなされなかった

実際、宮城では震災以来、ある意味では人は団結し結束したが、
本当の絆はうまれなかった

ましてや、信頼はもっともっと難しい

だから、私は震災のころ「絆」って言葉が嫌いだった
震災の、被災地のただ中にいて、いろいろな人を見て
自分も土地を失い、苦しみを味わい、苦しみを見てきて
結局、絆なんかうまれてはいなかった

みんな、自分が生きることに精一杯だった

いまでも、みんな、自分が生きることに精一杯だ
ひどい人だと、自分さえいい思いをすればそれで満足だ
自分さえ、あるいは自分の地域、自分の家族、自分のペット、自分の国さえ
よければいい、よければいい、ただそれだけ。

私はその肥大化したエゴが、コロナだと思ってる
少なくとも関係あるし、少なくとも関係してくると思う

 

話はそれたが、

仙台についたとき、こっちの方が安全にも関わらず
なんという静けさと寂しさとネガティブなエネルギーが蔓延しているのだろうとおもった

東京の方が危ないのに
のんびりしているのはなぜだろうか
異質なものをなんとか排除しようという観念がないからなんだろう

 

とにかく、東北人の持つ、異様なまでの
距離感とりたい、あたしから離れて!!バイ菌!(ウイルスです)っていう態度は、
コロナよりもしんどい

 

この排除性じゃ、
人と人はますます離れていくし、
疑念を持つようになるし
いじめは大人から子供まで、
感染した人はひどく差別される可能性がある

人はますます孤独になり
誰も信頼できなくなる

それでも表面的に見れば、
ルールを守って東北人は偉かったわね、といわれるだろうか?

 

いいのかわるいのか、

何が正しいということはこの世にはない

 

でも、一連の騒動が終わって、それで人々は幸せなのだろうか

心に距離が、もっともっと猜疑心と孤独と、穴がずっとできているはずだ
ハラリ氏がいうように、団結だとか信頼だとか、
そんなものは、遠い遠い人類の理想だ

こんなときだからこそ、
人の思いやりと、お店の、心の距離が問われている
その人の人格、品格、霊格が問われている

ひどい場合には、おかげで大人も子供もいじめをうけたりしたり、
噂を流したり、私のようにバイキンマン扱いされたり怒鳴られたりした人が
たくさんいるに違いないし、これからもでてくるだろう

そして人を信頼できなくなる子供がもっと増える

だからこそ、思いやりを持とう
小さな優しさでいい、優しさをもとう
マスクの内側からでもいい、優しくなろう
あなたを受け入れます、という気持ちでいよう

距離が離れているからこそ、
ハートの距離がここまで問われている時代は
地球の歴史で、かつてなかったに違いない

自分がバイキンマン扱いされたからこそ
私はそう決意した

距離をとるというエチケットと防衛は
必要かもしれないが

それでも、心の距離だけは、その分もっと近づく
はじめて会う人にも、町でぶつかった人にも、
はじめて話す人にも、親しい人にも。

そういう自分でいたい

人類が本当にそのいのち、を問われている時代だ

人と人は、愛し合うために生まれてきたんだ

私たちはいったい何をやっているのか?
世界中の人が、お互いをバイキンマン扱いし会うようになるために
生まれたのではない

もう一度いいたい

人と人は愛し合うために生まれた

 

※あれから長く東北にいましたが
良い人・温かい人にもずいぶん会いました

東北は閉鎖的だから…という決めつけをしてしまっていたら、申し訳なかったです

でも、実はそれが事実でもあるのです
東京にいると、やはりこっちのほうが「暗いのにオープン」でした…

とにかく、温かい人も多いけど、何かを排除しすぎる傾向は
東北は、修正していくべきことだという考えは、東北で起業していた東北人として変わりません

それでは★

 

 

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