さまざまなお知らせ 地球・個人の変容とアセンション

スピリチュアルはコロナの危機に応えうるのか

前回にも書きましたが、コロナが世界的に個人そのものに与えているマイナスの影響は、
個人差は非常にあるものの、大なり小なり存在しています

マイナスの影響は、自分自身の内から出てきているものもあります
今まで気づかなかった自分の中のマイナス部分を明るみにさせたり、
良くない状況をただ放置してきた場合は、それと向き合わざるをえない状況を作り出します

また、外側からくる場合も大いにあります
これだけ世界的に人々のイライラ・不満・おそれ・疑心・怒り・悲しみが蔓延してしまうと
人ではどうしようもないほど、重ーいひどいエネルギーが我々にのしかかるようになり
それが慢性化します

だからいつしか、そういう状況であることにさえ気づかなくなりそれが当たり前になります

例えばマスクなども、本来は1年中マスクをして生きるなんておかしいのです
体や特に皮膚にとっては負担だしストレスなのです

でも今や自然に当たり前に、違和感もなくマスクをしている自分がいます

違和感はないのですが、フィジカルなレベルの体も、
スピリチュアルなレベルの体もすごくそれがストレスなのです

一部の国ではどうにもそれが我慢できなくて不満が爆発し、暴動にまでなっています

内からくるストレスやため込んできたマイナスのエネルギーの影響は
個々人で差があり、またその出方も違います

それに対し、外側からくる地球をとりまくマイナスエネルギーの暗雲は、ものすごく大きく、
制御不能レベルでかつ集合的なものです

個人差は、対処法によって感じ方は違うものの、あまりありません
誰もが同じくらいのストレスやマイナスエネルギーを吸い込んでため込んで生きてしまっています

そしてそれに「気づいているのか」気づかないように生きているのかで、
今も今後も変わると言いました

今年になって、理由のわからない疲労にみまわれているひとはいませんか?
疲れて疲れてしょうがない。
あとは、感情不安定、情緒不安定、体の不調、イライラ、怒り、物事がうまく運ばない、
元気に、晴れ間を観るような気持になれないなど。

ひどい重しを背負わされているような疲労感と戦いながら、睡眠時間、というよりは
もうなだれ込むように寝てるとか休んでいるしかなく、
とにかく疲れ、何かやる意欲がない。

こういうことは、スピリチュアルなレベルからみると
個人的なストレスに加えて、集合的なマイナスエネルギーをお互いに出し合い
お互いに与えあってためこんでいるせいだと見受けられます
また、今の地球や社会は、大きな暗雲みたいなネガティブなものが
上から押しつぶしているような感じに見えます
これはとても一人で対処できるものではないです

対処しようがないので、忍耐と工夫で超えていくしかない。

 

私自身でいえば、私も今年とにかく疲労感がつよかった
特に夏を超えたくらいからです。
それに、なぜか泣きたい気持ちになり、実際泣いていました

それから、人とぶつかることが目に見えて多かった年でした
それは自分のせいもありますが、明らかに人々もイライラしています

例えば仙台の街中で、道を尋ねたところ、急にその人が怒鳴りだしたことがあります
「キャ~!!!やめてやめて近寄らないで!なんで近寄るの。こわいじゃないの。
鬼!ウイルスうつすつもり?」

と、商店街だというのに人の目も気にせず、大声でそんな罵声を叫ぶのです
驚いて、私もかっとなり
「私はウイルスなんかじゃない!!あなたにちょっと話かけただけでしょ?しかも近寄ってなんていないでしょ?」

と言い返して去りました

 

こういう人には何人も会いましたし、こういうことを何度も見かけました
とくにマスク警察もよく見ました

 

また、いつもはないような誤解や口論も多かったし
びっくりするようなタイミングで人とぶつかったりしました

それで自分がイライラしているのに気づくのですが
同時に友人や出会う人々もイライラを相当ためていることに気づくのです

 

こうしたことが、お互いの不信感を増長させ、人間嫌いにさせるのです
コロナによる人々の恐れが引き起こす精神的というより感情的ストレスは
ものすごいものがあります

だからこそ「気づき」が大事です
人々の中には必ず自分も入っていることを忘れないでください

 

さて、これは集合的ストレスの例ですが、
個人的ストレスというより苦悩も、私には大きかったです

私個人にとっては、コロナは私にスピリチュアルとは何かを再考させる刃でした

私はスピリチュアルとは、今の時代なくてはならないほど重要なものだと信じ切って生きてきました
人々はスピリチュアルを必要とし、スピリチュアルな考え方や、見えざる領域や、高次の存在や、
エネルギーについて、知り、それを活用していくこと、ケアし強化していくことは必須事項だと思ってきました

そしてスピリチュアルな教師をやっているような人たちは、
今まで2030年になれば、地上に天国が実現するようなことをさんざん言っていたので
当然その兆しがそろそろ見えてきてもいい時代になったと思っていました

だから、今まで随分外国のヒーラーのそうしたメッセージも訳してここで紹介してきましたよね

 

とにかく、私たちは魂であり魂である以上、
コロナがあろうがなかろうが、特にこうしたコロナの時代には
ものすごく求められ、まず先に皆自分を取り巻くエネルギーに気づき、
もっとエネルギー体のケアに熱心になり、
これを機にスピリチュアルなレベルの成長を果たしていくのだろうと
またそれが高まっていくだろうと思いこんでいました

 

しかし状況は違いました
スピリチュアルなど、コロナの前には求められなかったのです
それより人々はマスクを求めて血のにじむような帆走をしていました
衛生のことは気を使うけど、自分のオーリックフィールドの汚れと重さに気づいている人は
ほとんどいず、知る限りでは誰もケアしていませんでした

それよりむしろ、コロナによる不況で、スピリチュアルなことなど「ぜいたく」「二の次」という感覚が、
社会全体としてはあるのではないでしょうか。

個人レベルでは、
もともと決して安価なものではないために、セッションも次々とキャンセルになっていきました

その時、自分は求められていないと痛感しました
自分は、いざとなれば不必要なことに、魂をかけて従事していたのだと。

スピリチュアルなど、いざ本当に社会が、人生が大変になれば、
(本当は魂が同意しているからこそ体験しているので魂レベルの問題なのですが)
不必要と、脇に追いやられてしまう

でも、どうやったらその重要性を伝え理解してもらえるでしょうか?
今までにもさんざん、伝えてきたつもりです

その方法は、私には見つけられませんでした

一部の人は、誰かカリスマスピリチュアルヒーラーみたいな人の講演会や集会などに行って
それにはまり、ハマることで現実を忘れて楽になりたいという方向にいったかもしれませんが、

私の言っているスピリチュアルとは、いつも言うように、集団で誰かや何かにすがることでもなく、
何かの教義や信仰ではないのです

それはもっと自然な魂としての自分の本質を生きるためのアートなのです

それをいまだからこそ大事だ、重要だという風潮の高まりは
この世界を見てもまったくなく、スピリチュアルは未だに一部の人の興味関心にとどまっています

私はスピリチュアルの不要さを感じました
少なくとも、まだその真価が見いだされるのに100年はかかるなと。

スピリチュアリティーというものが、人々に求められなければ
それは本当の真価を発揮することはできません
エネルギーはその人のエネルギーに呼応するからです

今、世界はお互いにイライラのエネルギーをやりとりしているだけです
一体どれほどのデモや暴動や差別やいじめが、今世界を席巻しているでしょう

それも、スピリチュアリティー、つまり魂という本質の自分を忘れているからそうなっているのですが
それにすら人々は気づかず、地球が暴動総いじめ総格差社会になっています

私自身の現時点での答えは
スピリチュアルはコロナという危機に応えうるものではありませんでした

でも同時に、スピリチュアルはいつかコロナでもなんでも、
大きな危機、あらゆる危機に応えうる宝玉となるでしょう

それは人々がそれに気づき、それに心と体を開いた時です

つまり、今はまだタイミングではないということです

タイミングの問題であり、スピリチュアリティ自体の価値の強さや深さは、
私の中で全く変わっていません
それが価値のないものになることは永遠にありません

ただ理解されていないだけなのです

私自身はスピリチュアリティで生きているので
それであらゆる面で助けられ、気づき、鎮め、拡大さえしました
でも、もちろん沢山の、つらい気持ちになったし、沢山のつらい世界の現実を見てきたのは変わりません

 

私はスピリチュアルの無力さを感じました
スピリチュアルの本質は、まさにエッセンシャルであり、
おこがましいながらヒーラーの仕事もこういうとき「エッセンシャルワーカー」だと思っています

でもそれを人々が必要としないのであれば、エッセンシャルにはならないのです
決めるのは社会であり人です、

ヒーラーではありません

 

私はスピリチュアルの無力を感じると同時に自分の無力を感じました
感じ続け、悩み続けました
このまま、この仕事を続けるのかどうかも、何度も考えました
何度もやめようと思いました

これも運命が準備していたのか、去年からなぜかスピリチュアルとは関係ない仕事に複数出会うことになり
それを開始しているところなので、私は結構前からスピリチュアルではない仕事にも力を入れるようになっていたので
やめることは簡単でした

他を探す必要がなかったのです
これも天の配剤なのでしょうか

 

でも結局、私はスピリチュアルワークを小さくていいから続けることにしました
本当に理解と信頼で出会えた人々に、提供できることができればいい。

もう今までのように、スピリチュアルを大きく広めて、天使の本を書いて、
いかにスピリチュアリティーが大事なのか、伝えつづけていくぞ、という
震災のころの情熱はありませんでした

あの頃がすでに転機だったのに、世界は悪化する一方だから情熱を失ったのです

小さなサロンで、必要としてくれる人がいればワークする。

だから特に広めないし、広げないし、声高にスピリチュアルが云々と語りもしない。
その重要性を主張もしないし、わかってもらおうともしない
クライアントさんが増えるようにと集客もしないし、
目立ったことをして注目されようとも思わない

 

繰り返しますが、小さなサロンで、
必要としてくれる人がいればワークする

この世界には、スピリチュアルに目覚めているほどに
魂が進化している人々がいるのは確実です
そういう方々は必ず、スピリチュアルな使命をもって生きているので
私は少しでもその使命のためのお手伝いができればと思っている、

それが今の私の祈りであり願いです

もう、それ以上のことは望みません

思えば、世界に対して挑戦状をたたきつけるような勢いで、
スピリチュアルなことを知ってもらい理解してもらい一般化していきたい、
という情熱は高望みだったのでした

高望みというよりは、高慢で理想主義でおこがましかったのでした

 

時代はまだまだ、スピリチュアルなレベルから言えば進化成長拡大していってません
正直、まだまだ、物質レベルしか見てないし、
物質レベルでしか解釈しようとしないし、
物質レベルでしか生きようとしていない

そのすぐ目の前に、広大で壮大な
見えざる世界が同時に、大きく躍動して、拡大して、輝いているのに…

見えないし感じられないのだから、そんなことわからない!
と言われれば、そのとおりだし、それでもっともです

 

でも、見えない世界は決して本当に「見えない」のではないのです
時期が来れば、簡単に見えるものに変わります

ただ、物質レベルでしか考えず、物質としての自分に固執しているから
いつまでたっても見えない世界はわけわからん見えない世界のままなのです

 

それに皆が気づく時を、期待して努力することは
自分に大きな疲弊と失望と自虐的な考えつまり無価値観を与えるとわかった私は、

 

今はそういうことを望むこともなし、
なんとなく望みながらも、
期待せず、頑張らず、特に特別なことはしません

 

それが、私自身がコロナで見出した社会の現状と、
自分のスタンスでした

 

そして今自分は今までとは違うことをいろいろとやっていきながら、
そこにスピリチュアリティを含ませていき融合させていき、

一番大事にしたいことは、
原点に返って、

自然に生きる地球に生きる

 

ということを実践したいです

 

 

 

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