最近のスピリチュアルvol2.スピリチュアル疲れとスピリチュアル離れ

 

夏って、涼しい時や秋に向かっていく夕方なんかはとても美しくて、気持ちがいいですよね
日差しがまず綺麗だし、オレンジ色に光るダイアモンドみたい。ずっと静かに森で暮らしていたい。
そうやって自分と出会い、自分と対話できれば、十分なんじゃないか、という気持ちもします

さて、昨日は最近のスピリチュアルには2つの大きな兆候が見られると書きました
その2つ目についてちょっと自分の意見を書いてみたいです

その2…スピリチュアル離れ。スピリチュアル疲れ。スピ疲れ。情報が多すぎ、講座やらいろいろなメソッドやフェイクなのかどうかわからない出来事報告や宣伝などを受け取りすぎ。それで自分を見失ってしまう。一生懸命スピリチュアルに取り組んできたのに、お金だけがなくなり、何も変わらない。意味がない。無駄。そう感じ馬鹿らしくなってスピリチュアルを拒否するようになる。その一方でスピリチュアルにますますハマる人もいる。つまり2極化。

今年になって突然「スピリチュアル止めました」と言ってくる人が増えました。セッション途中だったのに、忽然と消えた人々もいました。また「スピリチュアルではないもっと現実的な道を行く」という方も増えました。全体的に見ているとスピリチュアル離れ、スピリチュアル疲れがじわじわと蔓延しているように思います。

その一方で、もっとディープにスピリチュアルにはまり、実際には自分の成長のためというより苦しみから逃れるための恰好の手段としてスピリチュアルにすがっているだけなのに、ますます自分はアセンションしてきているとか、ますます情報や特定のやり方に飲み込まれていく人々も見てきました。

つまりすごくはまるか、すごく離れるか、のどっちかが起きています。

 

私が今年仕事に関して、最もがっくり来たことは、ある時ある方から「もうスピリチュアル止めますね!!こんなことしてたって何の役にも立たないし、現実を生きるべきだと気づいたんです」とはっきり、言われました。私はその方の長いセッションに、真剣そのもので取り掛かっていましたし、必要なことを提供できていると思っていました。それをスピリチュアルなヒーリングと拡大成長に活かしてもらえればと願いながらセッションしてきたのです。

それがそう言い放たれ、何のわるぎもなさそうで、さっぱりはっきりとそう宣言され、途中棄権、のような形で去られてしまったのです。(これは書くべきなのかどうかまようところではありますが、守秘義務は守っていますしプライバシーは一切書いていないので、誰と特定する意味ではなく、現実に起きていることの1つの例として、あえて書かせていただきました。)

私は最初は自分のセッションがダメなんだと自分を責めましたし、今も自責の気持ちがないとは言えません。しかしその一方で、最近「スピリチュアルが嫌いになってきました」「スピリチュアルに疲れました」「もうやめたいです」という会話を、スピリチュアルな道を行く人々から(クライアントさんでもなく、セッションとは全く関係なく)何度も聞かされてきたのです。それで、スピリチュアルっていうのが一種の「疲労」を引き起こしているのでは、と思うようになりました。その原因は何なのか、自分でも考えてみました。

スピリチュアルが疲労を引き起こしているのは、ズバリ言ってスピリチュアルなものが増えたからです。増えたというより溢れてきたというべきかもしれません。情報が増えたという話はよく聞きますし、またその手のヒーリングメソッドやヒーラーと呼ばれる人も多くなっているのかもしれません。
実は私は、多くの人からスピリチュアル離れやスピリチュアル疲れを聞くようになってはっと気づくまで、そのことを知りませんでした。サイトはいつも海外のものしか見ないので、日本のスピリチュアルな現状とか、サイトの増え方とか、流行りの傾向などは全く無知なのです。しかしいざ調べてみると、本当に数年前とは比較にならないほどのスピリチュアルサイトが出てきており、情報があふれかえっています。ものによっては、単に情報の寄せ集めをリライトしたものもあります。

よくここまでわずか数年で変化してしまったなあ、というのが、驚きでした。スピリチュアルは日常に入ってきています。

ただ、スピリチュアルが洪水のように日常に入ってきている割には、スピリチュアルを「日常的なものだ」と考える人はまだまだ全然少ないのが現状です。私は先の話の件でも、その他の方からも、「もっと現実を生きるべきだからスピリチュアルから離れる」と聞きましたが、それにちょっと違和感を感じました。

なぜなら、そもそもスピリチュアリティーというものが本質だからです。スピリチュアルな方が「現実」であり、物質世界は生命のエネルギー体系のごく一部の鈍重な部分にすぎません。「すぎません」なんて書いてますが確かにそれはとても複雑で生き抜くのが大変な世界かもしれないので軽くあしらえるものではないですが、観えざるエネルギーの領域こそが無限に広大に広がっていて、物質世界は私たちの人生・魂の経験の氷山の一角です。すべてが観える世界で完結しているとか、すべては知的な頭で理解できるなどと、考えてはだめです。霊的な体験をし続けてきた私には、物質世界は一部分を担っているだけで、私たち自身も物質体は自分の一部でしかないのです。

繰り返しますが、スピリチュアルなことこそが「現実」です。それが「現実的」ではないとしたら、物質社会の何が一体真の現実なのでしょう。ほとんどは人間が勝手に決めたことに盲従しているだけ、自分の意志や感性や直感やハートなどをすべて忘れ、社会の言うように、社会規範にのみ従って流されるように生きている、それが現状ではないでしょうか。

今地球に新しいエネルギーが続々と流入している中、魂はそれに突き動かされ、「何かが違う。このままでいいのか?これが本当に私の”現実”なのだろうか?もっと広大な真実があるんじゃないの?」と多くの人々は思うようになっています。そこでスピリチュアルというものが、一つのより広い見方を提供しているのです。真実が何かは、人によって違います。科学のように客観視できないのが、スピリチュアルの弱みです。しかしその代り真実は誰にとっても自分の内にある、とスピリチュアリティーでは考えます。だから、自分というものの真実をしるために、人は内という広大な旅路を旅し始めるのです。それがスピリチュアリティーです。それが現実今起きていることです。

「スピリチュアルはもうわけわからないから、止めます。現実を生きます」という人は、何かどこかの時点で勘違いしてしまっています。スピリチュアルというのは、奇想天外な超常体験やいろいろなアセンション情報や講座やヒーラーや予言のことではありません。「止めます」という人は、どこかで強くそう思っています。スピリチュアルというのは、基本そういうものではありません。スピリチュアルとは、「人生を歩んでいくための、人が生きるためのアート」、だと私は思っています。これは勝手ながら私の格言です笑

ヒーリングを受けるにしても、それを「特別なこと」と考えすぎていないでしょうか?現実や日常とかけ離れたこととして見すぎていないでしょうか?これはスピリチュアル、こっちは「普通」、これについては「現実的」、こっちは「あっち系」などと、ラベリングをしているのならば、すべて外してください。

私のスピリチュアルカウンセリングの先生アンドリューは、そもそもスピリチュアリティーとはラベリングすることを止めることから始まる、と言っています。でもスピリチュアルにはまる人、また外側から何となく興味があるんだけど踏み込めないで眺めている人達の多くは、まだ沢山のラベリングをしています。

スピリチュアリティーとは生きるためのアート、生き方の一つなのです。とても現実的です。天使と生きることは非日常でしょうか?現実的でない浮ついたことなのでしょうか?天使に魅かれるなら魅かれるがままにまかせ、天使との絆を築いて、日常を共に創っていく、方がずっと普通で、楽な生き方だと私は感じます。

日常こそスピリチュアルです。日常をいかに生きるか、ってことがスピリチュアリティーです。だから人生で起きるすべてのことがスピリチュアルであり、スピリチュアルな何か、なのです。スピリチュアルから「離れる」「止める」という場合は、日常からスピリットを切り離すことにする、と言うのと同じです。

一度自分の魂の存在に気付いてしまい、エネルギーの世界が本質にあるんだと分かった人は、もう後戻りはできません。いい例が臨死体験をする人達です。彼らはその体験によって、もう昔の自分ではない、とよく言いますが、魂という存在に気付いて、魂からの体験をし始めてしまった人は、後戻りはできないのです。魂自体がそれを嫌がります。スピリット(魂より高次の、より大きな、源の一部としての私たち)はもっと嫌でしょう。
それを無理に後戻りしてしまうと、魂はどっちに行けばいいのか、わけがわからないよ~というようになります。そしてだんだん、肉体から魂がずれを起こし、さいあくの場合は魂が肉体から飛び出てしまいます。気付かずに自分の魂を遊離させている人が大勢います。そうなると、いろいろな問題がおきてきます。

スティーブン・ファーマーはこのことを「ソウルロス」と言っていますが、まさにこれを指摘してくれてありがとう、です。こういう現象が多すぎるからです。ソウルロスは、鼻からスピリチュアルを否定しても、またどっぷりはまりすぎても、スピリチュアルを途中で投げ出しても起こりえます。どれも、バランスの取れたスピリチュアル、つまりスピリット・魂との繋がりが断たれた状態だからです。

ソウルロスの人が多いから、現代人のオーラは色がないのです。あっても黒いか灰色か。煤のようになっています。オーラは何色?なんて話はナンセンスですよ。そんなことより、自分の魂を肉体とスピリット体の中心軸に固定しましょう。肉体に戻って来てください、しっかりと。

物質世界は広大な領域のごく一部と書きましたが、それでも物質体で生きている以上物質世界にちゃんと地に足を付けて生きることはすごく大事です。でもそれはスピリットを忘れないということとセットでないといけません。両者が大事なのです。魂も認める、ケアする、魂の求める生き方をする。でもちゃんと肉体もケアする。物質世界の切り盛りもする。どっちかを切り捨てるのは間違いだと思う、というか様々なトラブルを生むだけでしょう。

多くの人はどっちかに偏るというアンバランスな状態になりがちです。スピリチュアルを鼻から否定するか、スピリチュアルに疲れたといって「止めてしまうか」、あるいはスピリチュアルにどっぷりはまり、本当の意味で「非現実的」なものに漂っているか…

私はいろいろなセッションを行っていますが、それらは皆、日常をよりスピリチュアルに生きていくために活用していただきたいからです。今の現実を忘れるとか、現実とは違う非日常を味わってもらうためではないので、そう思っている人がいたなら、なんとなく寒気がします。私の考えるスピリチュアルとは大きなずれがあるからです。私は誰かを、目に見えない不可思議な非日常に誘うためにこんなことをしているわけではありません。日常に魂を取り戻してもらうため、現実をそれぞれ、生きるための支援が天使から来ているので、それをお送りするだけです。スピリチュアルを受け入れる時、セッションを受ける時、日常から絶対に離れないでください。日常と「スピ系」とを分けて考えそこに仕切りを作らないでください。私に限って言えば、私の行っているすべてのセッションは日常のためにあるんです。もちろん日常だけでなく、その人の魂の旅路のためになればと思ってやっていることです。

スピリチュアル疲れ、スピリチュアル離れをする方は、今言ったようにスピリチュアルを特別なもの・非日常的なもの・特異なもの、と考えすぎている可能性があります。その他にスピリチュアル疲れを生んでいるものがあるとすれば、スピリチュアル情報を取り入れすぎているとか、あれやこれやとスピリチュアルなものをやりすぎている可能性があります。今はスピリチュアルグッズやツールは溢れています。講座やヒーラー養成、数々のセッション。よくわからないけど、癒されたいから、変わりたいから、今が嫌だから、不幸だからとスピリチュアルの数々をかじって歩いても、スピリチュアルジプシーになるだけです。あるいはものすごくスピリチュアルにはまりすぎて、抜けきれない人になってしまうかのどちらかです。

自分もセッションをしていてこんなことを書いても説得力はないです。スピリチュアルなツールやセッションがありすぎてダメだ、とは私は言えません。私もそれを提示している1人だからです。

ただ私が思うのは、スピリチュアルと呼ばれるものとは、上手な付き合い方をすることを身に着けた方がいいでしょう。それは直感に従うことです。何かに流されるのではなく。魂が必要とする時、ものすごくたくさんのセッションを受けたり、クリスタルを集めたり、ある種の講座に行きたくなるかもしれません。私も一時あびるようにフラワーエッセンスを使っていました。魂が必要としない時、あまりそういうツールは使わず、講座などにも目が向きません。自分の中の流れに従ってください。吸収力がすごくある時は、あまり考えずに吸収していく。そうじゃない時は、何もしない。それはスピリチュアルを止めるとか離れるとか忘れるとかではありません。先にも言いましたが、一度魂にエンジンがかかったのに途中棄権をするのは、かえって危険です。魂の行くがままに任せてください。そして、自分が何かに「すがろうとしている」のかもしれないなら、スピリチュアルにこそ答えがある、幸せの鍵がある、解決策がある、と期待しすぎているのなら、それを解放してください。

スピリチュアル疲れをしている人を良く見て見ると、一時期すごくスピリチュアルに期待し、寄りかかりすぎている傾向があります。何ものかがここにあるはずだ、と思いすぎているのです。これもまたスピリチュアルを特別視しているということでもあります。

何か摩訶不思議な力に分け入って期待ことではなく、単に生き方のアート、なんだと思ってください。そうすると自分のためにいつどこで何を実践すればいいのか自ずと観えてきて、スピリチュアル疲れとかはなくなります。

「スピリチュアル」から離れたり、くっついたりを繰り返すのは健全な在り方ではありません。いつでも私たちはスピリットなので、いつでもスピリチュアルは存在します。その付き合いかた、上手く取り入れる方法を見出せばいいのだと思います。自分なりの魂の聖域を持つこと、スピリチュアルと呼ばれるグッズとかはもう辟易、とか思うなら、そういうのは買わなくていいから、でもいつでも、見えざる領域を尊重すること(深く関わらなくてもいいので)。

見えざる領域をいくら否定しても、今は昔の地球とは違います。地球に莫大なエネルギーが流入し続けているのです。それなのにたった1人の人間が一生懸命に頭で考えて、それを必死で否定しても、頭で解明できるまでは認めないと踏ん張っても、「疲れた」「期待外れ」「お金の無駄」だからといってやってきたことを放りだしても、良いことは一つもないでしょう。先に書いたソウルロスが起きるだけです。

これをこのサイトにやってきて読んでいる方は、例え仮にスピリチュアル否定者だったとしても、何らかの魂の呼び声を聞いてたどり着いたのです。そうじゃないと、こういう内容のサイトには、たどり着かないでしょう。そして何か魅かれるものがある場合は、スピリットとして生きる道を、歩みたいと思っているのです。あるいは、アースエンジェル、アースキーパー、ライトワーカー、ウェイシャワーとして、何かやるべきことがあるからです。それを、一時の疲れで止めてしまわないでください。地球には今すぐでも、活躍してくれるライトワーカーやウェイシャワーが必要なのです。地球は、あなたを待っているのです。新しい地球に、生きていきませんか?