スピリチュアルコスメ
スピリチュアル美容
スピリチュアルファッションは商品化できるのか?
スピリチュアルコスメ
スピリチュアルファッション
スピリチュアルジュエリー
スピリチュアル美容(コスメだけでなく健康法・サプリ・ハーブ・食事など全般)
去年あたりからこうした分野に興味が尽きません
「分野」というか、ただ私の頭の中のアイディアとしてあるだけで、
分野にもなっていないものですし、実際に実現することも難しいですが、
分かることは、まずこうしたことが商業化できるかというと、難しいけど可能だろう、というのが私の意見です
スピリチュアルな能力も持ち、アクセサリーや服飾やコスメティクスを作るセンスと才能を持ち合わせていれば、
こうしたものを真剣に作り、仕事として成り立たせ、一つでもいいものを人々に届けたいと思う人がいてもおかしくはありません
ただこうしたものは、収益を得たい・きちんとした商品として承認されたい、と考えるならば、
広範囲にいわゆる大量生産することができるものではありません。大量生産には合わないものです
一方で、小規模で小さなアトリエで一つ一つ時間をかけて制作するには適していて、
また洗練されたものが創造できると考えられます
つまりもしそれを値段を付けた商品として販売するなら、小規模に、極端を言うと採算が合わなくても
使命感で作るぐらいの覚悟があれば成立すると思います
ボランティアで作ることもできますし、私もたまに友人にスピリチュアルコスメを作ってプレゼントしますが、
無償で提供するのには何も困ることはないでしょう。もらって喜んでくれたらうれしいですし。
ただ無償では作り続けることはできません
まず、こうしたものは本気でやろうと思ったらそれなりの素材を集めなければなりません
素材選びから始まります。そしてオーガニック、フェアトレード、エシカルなどを基準にするなら
すべてそれなりのお値段がします
その人がかなり恵まれた、自分で稼がなくても生きていけるどこかのマダムとかなら
趣味でボランティアでやれますが、
自分でお金を出していいものを作ろうと思うなら、素材が大事な分野なので、それなりに準備段階にお金がかかるのです
また、ボランティアでやるということも、一見愛があって素晴らしい慈悲深いことのように思えますが
人は飽きる性分を持っています
一時期は楽しくやっていても、やがてやっていることに飽きてしまったり、無償でやってくれることを知った人が
あれもこれも勝手に注文してくることも十分に考えられ、それに応えていくことが苦しみになってしまいます
ある意味、無償だと緊張感がなく、相手に対して無責任にもなれるので、だんだん飽きてきたり苦しみになってくると
やってることが適当になったり、
そこらへんの素材を使って粗雑なものを作りかねません
また、自分の経験からいいますが、スピリチュアルなことに限って言えば、いかなるものでも、特別な場合をのぞいて、
簡単に無償で作ってあげたりやってあげたりするのは好ましくないです
タダだとわかると、すぐに頼ってくる人がいるからです
この世には、悲しいですがタダのものをあさり続けて生きている人がいっぱいいます
それは、一生懸命に働いても困窮していて、支援を受ける、というケースを指しているのではありません
自分はお金を持っているのにも関わらず、タダあさりが好きな人がいるのです
今でも古い考えの人は相変わらず、スピリチュアルなものは無償でお金などかかっちゃいけないといいますが
本物を提供する場合、無償の方が危険物だと私は思います
少なくとも私は、スピリチュアルなもの・ことを無償で受け取りたいとは思いません
タダで、本物を作ることは、私は無理だと思っています
やはり本物を作り続けるためには、それに見合った料金をいただいて、
きちんとエネルギーのやり取りをして平等な関係でいた方が、一種の緊張感と集中力の中で
いいものが作れると思います
よって、ちゃんと起業して、創作品として認めてもらい、作った分だけの収入を得ていきたいならば
やはり小規模で、制作する際には個々人の魂のニーズにチューニングしていく必要があるでしょう
小規模ですから、中世の映画なんかによくでてくる、小さな工房みたいなものでしょうか
私はこれからの未来の地球は、こういう、すべての分野が小さな工房・小さなアトリエ・小さな工場などで
小規模で地産地消で作られていくのが、理想だと思います
本当に、中世的の物語の世界のように、工房がひしめき合っていて、どこも手作りで、
時間はかかるが確かにいいものを作っている、そういう経済のありかたが未来の理想です
もう大量生産・大企業・テクノロジー・グローバル化はいりません
スピリチュアルなものを生産するということは、こうしたものすべてと相反するため、
スピリチュアルな商品が増えれば増えるほど、自然と手作り・工房・アトリエ派・素材第一・地産地消になっていくと思います
つまりスピリチュアルなものを商品化するということは、自然と、
今まで世界を苦しめてきた大量生産・大量消費・大競争・大格差・大環境破壊社会のやり方から脱却するということです
スピリチュアルなものというのはたとえ物質でも、そうしたやり方にはそぐわないし、
いくら大企業が何兆円と出しても作れるものではないし、
ましてやグローバル経済やテクノロジー社会システムの一部とは完全に「別世界」のものだからです
スピリチュアルコスメ
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スピリチュアル美容(コスメだけでなく健康法・サプリ・ハーブ・食事など全般)
こうしたものは、普通の「物品」とは違います
以下、特徴を書いてみたいと思います
1.基本的にオーダーメイド。魂のエネルギーシグネチャーや、魂が必要とするものは違うから一つとして同じものはできない。
2.クライアントさんの魂と、繋がる。高次の存在と、繋がる。
魂が求めるものを、高次の存在とともに作る。従来の「物質」とは別次元のものである。
こうした能力は、スピリチュアルなものであると銘打つ以上、必然。
よって、霊的能力はどうしても必要。
この辺は生産できる人が限られてしまうために、難しいけれど、
購入する顧客の立場から考えれば、せっかくある程度のお金を出すのであれば、
本当にスピリチュアルな能力がある人に聖なるものを作ってほしいと願うのではないでしょうか?
スピリチュアルは、ただスピリチュアルと銘打っていればスピリチュアルなわけではないんです
スピリチュアルであるということはそれなりに理由があってのことであり、
スピリチュアルという特別な要素がそこにあるということです
最近、何かといえば中身のない、宣伝のためだけのスピリチュアルという言葉が多用されていることに懸念を感じます
その割には、その言葉を使っている人が、見えざる世界・霊的能力・高次の存在・エネルギーなどということを
ことごとく嫌っていたり、興味も知識もありません
でも、スピリチュアルと言えば売れる、そういう風潮があります
例えば霊的能力はないけれど、スピリチュアルコスメティクスを作りたい、やりたいというならば、
思い切ってまずヒーラーからスピリチュアルなエネルギーワークを徹底して学ぶべき
スピリチュアルを、雰囲気とかなんとなくでやってはいけない
観えざる世界をなめてはいけない
3.世界に一つしかないブループリントとエネルギーシグネチャー、幾何学系を持つ
魂のために作る以上、世界に一つしかないため、大量生産やコピーはできない。
4.世界に一つしかない波動と、組み合わせと、意味と目的を持つ。
依頼したその人の魂に調和する何か、である。
5.創作者は、作る段階から、自己を浄化し、自己をセンタリングして、源・ソースときちんとつながること。
作ったものに実際エネルギーをチャージするかどうかは別として、作り手は、源からのスピリチュアルエネルギーに満ちていること。
あるいは創造にかかわる高次の存在の波動と一体になった状態で制作できるよう自分を洗練修練すること。
それによって、制作過程のすべてで自然と意図しなくても「スピリチュアルエネルギー」「スピリチュアルパワー」が注入される。
特にエネルギーワーカーと呼ばれる分野のヒーラーにアートやジュエリー制作が得意な人が多いのは、
エネルギーワーカーの手からは常に源・神なるもの・根源からの純粋なエネルギーが流れ続けているからだと言う。
かなり霊力の強い人だと、その場にいるだけでエネルギーチャージをしたり浄化をしたりできる。
よって、当然心と意図をこめてつくっているジュエリー、コスメ、服などに、パワフルでピュアなエネルギーは自然に満ちていく。
もちろん、そこに意図的にエネルギーをチャージすれば、さらにますます強力なスピリチュアルなパワーを持った
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が実現できる。
6.パッケージ素材やラッピングにもテーマを持ち、気を使う
ラッピングも意味があり、何か伝えているものがあり、スピリチュアルな表現の一部です。
おそらくみなさんのなかには、実際にスピリチュアルコスメやジュエリーを注文して、それが届いたときの、
その波動を敏感にキャッチしているのではないかと思います。
本当にスピリチュアルな意図を持って作られたものは、開けたときから、
甘い香り、癒しの力、愛、やさしさや配慮、美、かわいさ、きらめき、わくわくなどを感じます。
あるものは、ただ「ぼーん」とアマゾンみたいに送られてきます。
これだけでも、制作者の意図をかなり見分けることができるでしょう。
7.制作過程すべてがスピリチュアル商品だと思わなければならない
こうしてみると、デザインの着想から素材選び、制作、ラッピング用品選び、ラッピングそのもの、すべてがスピリチュアルな
ワークの工程です。よって、結果としてなぜ作るのに時間がかかるのか、なぜそれなりの高いお値段がついてしまうのかがわかるでしょう。高いお値段にしていても、これだけのことをそろえると、収益として残るのは実はわずかです。それでもやりがいを感じるかどうかが
やれるかどうかの基準です。
スピリチュアルなものは、安すぎても高すぎてもだめ。
やっぱりそこには、はっきりと適したお値段があります。
それが多少高くても、作っている自分の労力と素材代より低くしてはいけません。
高くしちゃ儲け主義といわれるとかなんとか気にしていたら、自分の作ったものへの尊敬がないということです。
思い切って10万円くらいにしてもいいのです。自分がそれだけの価値があると思うなら。
自分の思う価値を料金に反映させないと本当に愛あるものになりません。
こんな感じでしょうか。
霊的能力はないけれど、こうしたものを作りたいと思う場合は、コラボレーションという形が良いと思います。
たとえば私はファッションに興味がありますが、服を作る才能や技術は全く持ち合わせていません。
だから、今は自分の思うデザインを形にできる服飾専門家を探しています。
同じように自分では作れないけどビジョン通りのものを誰かに作ってもらい、そこにエネルギーチャージをすれば
確かにスピリチュアルなものにはなりますが、本当を言えばすべて自分でやれた方がいいです
先にも言ったように、作るものは自分でデザインするのではなく、
高次からくるアイディアを形にするという作業です
素材選びから、すでに高次と繋がっています
作っている考えている全作業が、その人からあふれるスピリチュアルなエネルギーを制作物にチャージする行為でもあるので、
全工程を自分でやった方がパワフルなものになるのにちがいありません
また、私も最初はアクセサリーを、アクセサリーデザイナーと組んで作っていました
高次からビジョンが与えられると、その通りにデザインし、そのデザイン通りに作ってもらっていました
でも、やっていくうちに意見が分かれてしまったり、思った通りの形になっていなかったり、
ひどい場合は、お金だけとってドロンする人もいました
デザイナーはプライドが高い性分ですので、
デザイン通りにやってくれと最初に契約していても、いつしか自分の世界にはまり、自分の作ったものにこだわり、
絶対にデザインを変えないと言い張って
去っていった人もいました
コラボレーションする場合は、兄弟なみに信頼関係があり、かつ必ず制作過程で意見割れやケンカがあることを
覚悟でやったほうがいいです
11.パッケージ素材や素材にも気を使う
それもスピリチュアルな表現の一部
おそらくみなさんのなかには、実際にスピリチュアルコスメを注文して、それが届いたときの、
その波動を敏感にキャッチしているのではないかと思います。あるものは、開けたときから、甘い香り、癒しの力、創造した人の愛、やさしさや配慮を感じます。あるものは、ただ「ぼーん」とアマゾンみたいに送られてきます。これだけでも、かなり違います。
12.制作過程すべてがスピリチュアル商品だと思わなければならない
13.その人の魂と調和することを願うこと
14.高すぎても安すぎてもだめ
私が繰り返しスピリチュアルコスメについて書くのは
それが安易に利用されることだけは避けたいからです
私が作るスピリチュアルコスメは私にしか作れません
あなたが作るスピリチュアルコスメも、あなたにしか作れません
スピリチュアルコスメは魂が魂のそのまた奥にあるものを引き出して、
最善の真善美を物質に反映する作業ですから、世界に一つしかないし
同じものは誰もつくれません
そこに魅力があるのです
それが、安易にスピリチュアルコスメなどと謳い、
大量生産されていくことを危惧しています
そうしたものには何のエネルギーもこもっていないので気を付けましょう
スピリチュアルコスメは、本当に特別なものです
世界の歴史上、どんな裕福な大富豪も女王様もお姫様も手に入れたことはありません
そういう意味で、あなたはそれを身に着けることでプリンセスにもクイーンにもなれるのです
聞こえはいいですが、実際に「本物の」スピリチュアリティーを組み込んでいくのは簡単なことではありません
スピリチュアルに理解と知識があり、霊的な能力も持ち、多くのヒーリング関連の体験を積み、
かつ世界のアートやデザイン、美やファッションや工芸にも造詣が深い…
そんな人がどれほどいるでしょうか
世界のすべてのもの・ことが魂の表現であることを知る人はどれほどいるでしょうか
自分の霊的能力を、本当に健全かつ安全かつ適切に、スピリチュアルコスメ・美容・ファッションに
注入し融合させることができるほど聡明な人はどれほどいるでしょうか