アースエンジェル・ライトワーカー、あなたの出番です!地球・個人の変容とアセンション実践的スピリチュアルを始めよう!新しい地球・新しいスピリチュアル

愛とは何か?-スピリチュアル以前に。そしてスピリチュアルを超えて。

 

みなさんこんにちは♡
2020年という節目ですので、まず最初に書くべきは今年の予想とか、今年のエネルギー状態などなどではないかと思います。それもヒーラーとしての自分へのバイアスかもしれません。あちこちで予想などは書かれているので、皆さんはすでにいろいろ情報を取り入れていることでしょう。

2020年のエネルギーがどうとかこうとか、そういうことの前に、
自分にはどうしても黙って通り過ぎることのできない、あまりにも辛い出来事がありました。

それは、地球がアセンションしようが、ライトワーカーがどうとか、そんなことどうでもいいように思わせるような、人間として当然の課題であり問題でありテーマであり悩みであり疑問でした。

人間というものの、根本を問われるような問題でした

その体験は、そもそもスピリチュアルやライトワーカーやアセンションなどという前に、

人間は「愛」を生きられるのか?
愛を生きていこうと本気で思っているのか?
愛とは何か?

という深い問いを
私に与えました

 

きっかけは昨年末に、国際プロジェクトで始まりのころから仲良くしてきた友人が、ある難病になってしまったことからでした。プライバシーもありますので、そのようにしか書けませんが、おそらく友達が同じようになったら、誰でも相当なショックと悲しみを感じることと思います

私は早速、何かできるならば、とにかく彼のために何かしたい、と強く思いました
でも、実際にできることは非常に微々たるものです

わかってはいても、私は「あなたは一人ではないし、みんなあなたを待っている」
ということを告げたいと思いました。そこでささやかながら、彼に贈り物をしようと決めました。

このプロジェクトはすでに4年目を迎えているので、皆このプロジェクトが国を超えた友情プロジェクトであることは十分しっていると思っていましたし、当然この私の計画に賛同してれるだろうと思って皆にメールをしました

私は、それでも自分勝手で自分のことしか考えない人々をこのプロジェクトを通じてたくさん見てきたので
慎重に、仲間を選びました。活動当初から一緒にいて、彼のことも知っていて、かつ信頼に足るほど語り合ってきた、私の知る限りヒューマニズムとハートを持った人達を選んで、彼を一緒に応援しないかと、

呼びかけました

 

ところが、これに賛同してくる人は、皆無でした

誰一人として、真剣に彼の窮状を考えている人はいませんでした
誰一人として、彼を応援したいとか、支援のために贈り物をしようという人もいませんでした
誰一人として、本気で悲しんでいる人もいませんでした

返事をよこした人も、適当に「かわいそうだね」というだけで、
あとは何度メールしても無視され続けました

酷い人に至っては、私がうるさく催促していると思ったのか、
ブロックしてまったく連絡を遮断して消えました

その人も、日ごろから「愛が一番大事だ」「プロジェクトのためなら、なんでも協力するよ」
などと言っていて、
独自の「愛に満ちた」生き方論を語る人でしたので、
まさかこんなささいなことで完全ブロックされるとは思っていませんでした

こうして、私は、今もなお一人で生きるか死ぬかの堺目にいて戦っている彼を応援することにしました
一人で贈り物を送ることにもしました

しかし、私の心は毎日張り裂けそうです
あまりにもむごくて酷いからです

確かに、誰がどう感じようが自由です
自由ですし勝手です

その人と距離を感じていてなぜ自分をまきこむのかという人もいたかもしれません
でもこれは「国際友情プロジェクト」なのです
何度もお互いを思いやる人だけ参加してください、と言い続けてきました

そして、大切な仲間が明日にも死んでしまうかもしれない最中に
彼らは何もしようとはしませんでした
彼に対し、愛ある言葉をかけることすら考えていないようです

 

たびたび言われますが、こうした重病の瀕死の状態にある人は
他の人からの励ましや干渉、お見舞いなどを避けたがる傾向があると。
そうしたことは、その人に余計な負担や嫉妬、劣等感、申し訳なさを感じさせてしまうから
帰って放っておいたほうが両者にとって気が楽、ということは往々にしてあります

確かにそれは私も経験上しっています

でも、そういう人ばかりではありません

人間はみな愛がほしいのです
人間はみな愛を糧に、愛をパワーにして生きています
なんだかんだと強がりを言っていても、人間が絶対的に必要とするのは愛です
愛以上に強いものはありません

「構わないで」といいつつ、
実は構ってほしいのも人間。
人がいろいろしてくるのをうるさく感じつつも
いざ誰も何もなかったかのように自分を無視してくると
やはり悲しいのが人間です

とくに彼は特別に皆からの愛を求めていました
もともと、孤独な人生を生きてきたからかもしれません

私はまず、彼に慎重にコミュニケーションをとり、
彼自身はどうなのか、何を求めているのか、どこまで干渉してもいいだろうかと、探りました
むやみに言葉をかけたりプレゼントを贈ることは避けたかったからです

その結果、彼は孤独を抱えていて、誰かに構ってほしい、元気な時は話をしたい、
プロジェクトの作業についても話したい、みんなのもとに帰りたいと思っていることが
わかりました

彼の場合は、放っておかれることではなく、誰かがあなたを応援しているよ、と
言われたいと思っていると私はわかりましたので

プロジェクトの仲間に声をかけたのです

 

この「惨状」は、私に決定的な心の傷を与えました
私は再びひどい胃腸炎になりました
自分は彼らを信じて疑ったこともなかったし、
皆で協力するのは当たり前のことだと思っていました

もし彼らにその気がなくても、
仲間のことを思い、仲間が困っていたら助け合う、これはこのプロジェクトのルールでもあるのです

しかしそこまでして嫌なのか、辞めてでもいいから
彼の支援やサポートをしたくないという彼らの態度に

正直世も末だと感じました

「一度サポートすれば、彼が生きている間、俺はずっとサポートするように
言われる、そんなことは面倒くさい」、だから無視して、ついでにこのプロジェクトもやめよう。
そういう考えとしか思えません

彼らの、徹底的な思いやりのなさと、面倒臭いことにはかかわりたくないというかたくなな態度、
そして冷徹なまでに凍り付いた無感情無慈悲の状態は、もはや私の理解を超えており

怒りというより、それを通り越して、大きな悲しみになって私をお化けのようにおそってきました

そう、まさに「化け物」です
「あいつが難病で死んだとしても、別にいいよ。関係ないし。俺は面倒くさいから、
何もしたくない。っていうか、関係ないんだから、俺にあれこれやれって言わないでくれる?」

化け物たちが出してきた最初の態度は、ここまで率直ではないにしろ、
全体を含めて考えると皆こんな感じでした

つまり、友人でもあるにもかかわらず、苦しんでいたってそれは俺の苦しみじゃないから、
関係ないと。友人であるけれど、俺の命ではないから、死んだってかまわないと。
勝手に死ねば?私には、そういっているように見えました

あるカナダ人の友人が、彼らの態度はまるでホラーだ、と言っていましたが
私にもそう思えました。

彼らは、かの友人が大きな苦しみにあっても、
明日死んでしまうかもしれないのであっても、
そして死んでしまったとしても
相変わらず無感情なのでしょう

これが、少なくとも4年間付き合いがあり同じプロジェクトをしてきた人間がすること、言うことだとは
とても思えません

でもこれが、今の社会なのでしょうか?
私はこれは、文化的背景による違いなのかと最初は思いました

つまり、友人が死んでも構わないから何もしない、という文化があると。
そういう文化が普通ならば、それもまた尊重しなければなりません

確かに、西洋人はとても個人主義です
周りが何をしてもいいけど、私も勝手にやるから
お互い自由にやりましょう。
そういうわけで、たびたびフレンドリーな友人にでも
跳ね返されることがあります
本当に自分の勝手でしか動かないんだなと思うこともあります
これは、ヨーロッパで育ったので、すごくよくわかっています

また確かに、中国・インド・韓国・台湾などは
非常に家族主義で、家族親族にはひたすら優しく、徹底的に連帯して助け合おうとします

特に私が見る限り中国人の家庭はそれが強く、
その代わり家族以外の外部の人が困っていても、
「no care」と言われてしまう場面が多かった

それもわかっています

 

でも、ずっと考えてきて、もしそうした文化的背景があったとしても
よほどひどい心根でない限りは、
ささやかでも友人のために何かしたい・してもいい・しよう
と思うのが普通ではないでしょうか?

少なくとも、私にはそれが「普通」です

彼らが私の提案を拒否する自由、友人が死んでもいいと思う自由があるのと同じように、

私にも、私の提案、私が友人に助けを贈りたい、
人と人が思いやり助け合うのが愛、そんな愛を信じているという気持ちを「普通」と思う自由はあるし、その思いやりと愛をなじられ、踏みにじられたならば、
そういう人達を、黙って受け入れそれでも友人を続けるのではく
もうこれ以上友人とは思えないというのも、自由です

誰しもがどういう考えで生きても自由なので
彼らの考えを否定しませんし、責めはしません

でも、私はその考えは違う、その考えには愛がないと思う、と主張する自由を持っていますので
私ははっきりそれを伝え、彼らとの縁を切りました

私には、こうした価値観の人とは、一瞬たりとも一緒にいたくないのです
話したくもないし、思い出したくもない

 

 

私は苦悩しました
なぜ、彼らの言うことをふんふんと聞き入れ信じ込んで
あまりにも浅はかにブロックしたり消えていったり無視したりする人達を
愛ある人達だと信じ切って、一緒に「国際友情プロジェクト」などをやってきたのかと。

どうして、人をヒーリングする立場にあって
否が応でも他の人達のエネルギー状態や思っていることまでが見えてしまうのに
それを、身近な友人には見抜けなかったのかと?

一つには、自分はあまりにこのプロジェクトに入れ込んでいて
彼らの友情を信じ切っていた、つまり彼らへの信頼と愛情が強く
肝心なところが見えなくなっていた、というのがあります

そしてもう一つは、勝手に誰でも彼でも人のハートやエネルギーを透視していいものではないので
特にこうした現実的プロジェクトの場合は、一切のスピリチュアルをわきに置き、
そうした能力も知識も、使わないし言わないし用いない、と決めていました

 

それにしても、私には、これが「今のカオスな世界の現状」をはっきりと反映している出来事なのか?

 

と思いました。今、世界ではナショナリズム・ポピュリズムが横行していて、差別的な発言もまるで解禁になったような感じで、一方で大金をかけてでもインスタグラムやYouTubeで自分を目立たせたい・かっこつけたい・キレイと言われたい・褒められたい。という強い自意識が膨張しています。

つまり、全体的に「自分だけよければそれでいい」世界になっていっている

それが、なんとなく社会やメディアで警告されているだけでなく、
今の若い世代全体に蔓延していることを、私は身近に見せつけられたのか?と。

 

試しに、私は日本人の友人たち、そして外国人でもこうした真剣な話をできる人全員に相談してみました

彼らの意見は全員「その態度は考えられないほど酷い。友人が苦しんでいたら自分なら放ってはおかない。それは、もはや人種や国籍や文化背景の違いのトピックではなく、ただ単に人間性の成熟の問題だ」という意見でした

私は少なくとも自分のそばにいる人達が「別に・・・いいんじゃない」と言わなかったこと、自分だったら
君と同じことを感じただろうと言ってくれたことに安心しました

でも、それでも自分が、信じてきた人達に、私が考えるところの「愛」のなさを見た私は
今のところこの件について立ち直れず、次が見えていません

もしかしたら本当に今この世界は2極化しており
愛に気づいた人はひたすら愛情深くなっていくし
愛を拒否する人はひたすら自己中心主義になっていくのかもしれません

そして両者は、もうちょっとした話し合いや語り合いでは理解しあえないほどに
離れてしまい、ハートのレベルからすれば、同じ人間ではなく、
2つに分かれた別種族にさえなっていくのかもしれません

 

皮肉にも、国際友情プロジェクトは長い間、参加者同士の闘争などで
活動がストップしていましたが、つい最近再始動したばかりでした
その矢先でしたので…いつまでこうして問題が続くのかと思うと、
神はこのプロジェクトを支援していない、支えてくれていないと感じます

国境を超えて助け合い、地球人として繋がり、一緒にできることをしよう。
そういう目的で生まれた活動でしたが、
今は、その理念さえ、信じられなくなっています

これだけ平和の活動だと宣言し、確認しながら人を集めてきたのに
この結果ですから、よほど私の人を見る目がないか、
人を募集するやり方が間違っていたのでしょう

 

あるいは、ある友人が言うように、
「そもそもが今の世の中、真剣に人を想えるような人って、すごく少ないと思う」
が正しいのかもしれません

 

このプロジェクトに参加してくる人達の多くは、
皆一様に、好きな言葉と言えば「愛」だと言いました

でも、実際に愛を生きている人はほんのわずかでした

愛についての定義も、考えも、人によって違うかもしれません
ここで言っているのは、壮大な神的な愛ではありません

しかし、では愛ってなんでしょうか?
人はいつも何かにつけ愛、愛という言葉を使います
ドラマ漫画映画…嘘くさい愛情物語があふれています

スピリチュアルな世界でさえそうです
スピリチュアルの3種の神器ともいえる「愛」を
何かと主張し、何かとこの言葉で片付けようとする人達がいますが
そういう人達でさえ、愛なんて、よくわかってないのではないでしょうか?

一体それほどの人が愛を知っているのでしょうか?

そして愛とはなんでしょうか?
愛とはなんですか?
誰か教えてください。愛とは何かを‥‥

ただ、そういいながらも、私には1つの信念があります
それは、愛を生きる人になるためには、
まず自分が愛情で満たされる経験を十分していなくては
他者に対して愛は出せないということです

愛というのは、最も強力なエネルギーです
だから実は、哲学・文学・論説・ディスカッション・言葉・定義などでは
説明できないものなのです

ただ、愛は根本的でかつ最も強いエネルギーで
これは生命を支え維持しているパワーです
ですから、これを与えられている人ほど、

自然と愛を他者にも出せるのです

これをもらい損ねた人達は
自然と自分の子供さえ憎く感じます

愛を得る最初のそして最大の機会は子供時代です
やはり母・父・祖父母・家族から、
まずたっぷりと愛される必要が人にはあります

でも家族関係はそう簡単ではありません
愛情なく育てられる人はたくさんいます

そういう場合は、難しいことですが、
親の代わりになってその人に愛を注いでくれる人に出会えれば変わります

でもそれもなければ、信仰に生きることで、愛にハートが開くことがあります

それもない場合は、源から愛を受け取ることで、人は変われます

実際に、愛とは、スピリチュアルな純粋なエネルギーのことで
ほとんど主に心臓やハートを通じてやり取りし、ここを起点として受け取っています

どんな人間関係からの愛よりも、
スピリチュアルな愛は、最大に強力で、有無を言わせないほどの力があります

実際にこの純粋な愛を一度でも体験すれば、愛がいかに偉大であるかを
人は知るでしょう。その愛は源・根源からくるものですから、エゴを持つ人間同士で出し合うには
どうしても限界があります。

だからこそ、私たちはハートを開いて、高次あるいは天、源からくる純粋な
愛を受け取る準備をしていかなければならないです

愛は、言葉で感動的に語るほど簡単ではありません
なぜなら、愛は、上記で書いたように、物質世界のものではないので
人間的なやり方ではどうしても形作れないし語れないし言葉じゃないし見えないものだからです

「これが愛だ」と体感し、実践するには、
まず自分が純粋な膨大な愛を、一度でも全身全霊に満たされることで
始めて愛とは何かがわかるものだと私は体験的に思っています

そしてその時初めて、愛はただ単にかっこつけたい輩のきざな言葉などではなく、
自然とハートからあふれる行動や思いになっていきます

愛は言葉ではなく、哲学や考え方ではなく
行動であり、思いであり、生きる態度です

愛を受け取り、愛で満たされることがあれば
自然と愛を実践したくなります(いつもではないとしても)

そう思うと、世界には、まだまだ愛に飢えている人、愛とは何かを実体験したことがない人が
山ほどいるということでしょう

 

このプロジェクトにいた人達の多くも、まだ実際に愛を体験したことがないのでしょう
そう結論付けて納得するしかありません

ただ、愛がいかにスピリチュアルなもので、受け取るのも満たすのも難しいものであっても、
私たち人間は間違いなくみんな愛を必要としています

だから、愛について考え、愛を乞い、愛を願い、愛を祈り、
愛に生きさせてくださいと聖霊に伝え、根源に伝え、根源とつながり、
そういうスピリチュアルな方法や考えがどうしてもいやなら、
少なくとも、自分の中に愛が満ちていくように周囲の人々を大切にしながら
いつか愛がわかる日が来るように願うしかありません

 

愛という意味において、私はこの国際友情プロジェクトに失敗しました
皆さんの中にも、私がこの話ばかりすることにうんざりしている人もいることでしょう

でも、私にとっては、この活動こそが、スピリチュアルなことがわかる同士でぬくぬくと
スピ話をしているのではなく、その外でスピリチュアルを実践する壮大なチャレンジだったのです

私にとっては、これこそが、ライトワーカーとしての使命でした

でも、残念ながら世界にはまだ愛を「普通のこと」として実践できる人は少なく、
むしろ減ってきているのを目の当たりにしました

 

そして、自分はいかに愛に重点を置いているのか
愛なくしては国際親善活動等々もできないと、
それもわかりました

私はもう、愛をベースにした活動にしか本気になれないし
愛をベースに生きようとする人達しか、本当には付き合いたくないのです

これが大学時代とかだったら、そうも思わなかったかもしれない
嫌だな、と思うかもしれないけど、そういう人達もいるしな~くらいで
済ませてしまったかもしれないけど、今はもう波動の違いがありすぎて
お互いに理解しあうことはもちろん、ともにいることも難しいです

私自身はただのバカアホマヌケのエゴの猛者ですが
でも、私はやはり、
自分が愛を第一に考えるほど波動がいつしか洗練されていることに
気づきました

自分がいかに、スピリチュアルな世界から莫大な愛をもらい受け、
波動もボディもハートも変わってしまったかがわかりました

さて、自分はこの先、自分の使命と思ってきた国際親善活動を、
どうすればいいのでしょうか?

私はこの活動自体は、自分で言うのもなんですけど素晴らしいものだと思っています

ただ、一緒にやっていく仲間が違った、仲間が見つかっていない、ということです
本当にこの理念に賛同してくる人が、現れてくれないとうことです

やめてしまうのか、それとも、続けることによって
天は私に、同じ波動を持つ似たような新たな仲間を与えてくれるのでしょうか?

 

皆さんにとって愛とはなんですか?

愛がなければ、愛を体験しなければ、愛がハートを自由に流れるように
しなければ、アセンションは個人には起きません
愛は、すべての要です
スピリチュアルな世界、物質世界、どちらにとっても
結局は、愛がすべての要です