TOP20記事 さまざまなお知らせ どれを受ければいいですか?セッションQ&A はじめに アースエンジェル・ライトワーカーの皆さんへ スピリチュアルセルフケア ナチュラルヒーリング&ナチュラルセラピー ライトボディ/スピリチュアルボディの変化と進化 地球・個人の変容とアセンション 天使からのメッセージ

あなたが求めているものはスピリチュアルではなく、違うものです

 

 

あなたが求めているものは、
スピリチュアルですか?それとも‥‥

うーん、もう我慢できない
だから、書いてしまおうと思う

ヒーラーというものをやり始めてから、ずっと同じような体験をしてきた
不快な体験だった

でも、日本の社会というのは、今は薄まったけど、
お客さんは神様だ的思考がつよい

だから結局、我慢して心のうちで怒りや疑問を感じ、記事にしたことはない

でも、昨日言われたことが悔しかった
もうすっごく悔しかった

悔しすぎて、もうスピリチュアルなんてものが嫌になったし
いつまでたっても、また一体いつになったら、「ヒーラー」というものへの
ある種の人々の期待や神聖化や欲求やその反動としての、怒りや反発や不満はなくなるのだろう?

と考えて、書くことにした

サロン経営者の高橋貴子さんも言っている
「嫌われることをおそれない」
つまり言いたいことは我慢しないで言えばいい。
自分にとって不快な人は顧客でなくていい。
正直な気持ちをはっきりいって、それで相手が去っていくなら去るがままにすればいい。
と思おう、万人に好かれるサロンを目指さなくていいというようなことを。

 

サロンも仕事も活動も、
成功のカギは良い人間関係です

サロンを始めて以来、私は多くの良き人々に恵まれたと思う
対したトラブルというか、これといったトラブルもなく、
基本仕事やそこでの人間関係が悩みになることはなかった

会社員時代も留学生活もそうだったが、人間関係はことごとくうまくいった

だから何より仕事や研究が楽しい
今のサロンも、クライアントが皆いい人達で、恵まれているから
私も安心して仕事が出来るし、この仕事が好きで情熱を持っているそのパワーを
仕事そのものにつぎ込める

ここがポイントだ
どんなに好きな仕事でも趣味でも活動でも、
人間関係が良くないと、本当の力は発揮できない

なぜならすべては人間関係によって成り立っているため、
良い人間関係に恵まれてこそ、安心して人はその人本来の
仕事才能能力使命をはたすことができる

人間関係は、その人の魂を最大限表現するための
大きな大事な土台であり決め手である

 

国際平和プロジェクトでの失敗と悲しみ

国際平和プロジェクトで分かったことだけど、
幾ら理念が素晴らしく、やっていることも社会性があって褒められても、
そこでの人間関係にトラブルがあると、何もかにもうまくはいかない

すべてのカギは理念でも理想でもなく、人間関係にある

国際平和プロジェクトは、理念はよかったけど、人間関係は最低だった
私が世間を甘く見すぎていた
世界には、私の考えられないような残酷なやり方で人をだまし、金をだまし取ろうという人が
ごまんといる。そして女1人でディレクターをしていたため、世界平和活動だというのに、
世界中の男たちからバカにされ、
暴力で金や知名度アップを要求された
もっとひどいことも沢山された

こうして、ものすごく強かった私のこのプロジェクトへの情熱とエネルギーは
すべて人間関係のトラブルシューティングに注がれ続けていった

それで、最後は本格的に体を壊し、治療せざるを得ない、
やめなければならない状態になった

ここでは常にいつでも毎日、
人間関係を何とか解決させるために、
すべてのエネルギーと時間を注がなければならなくなり

肝心の国際平和プロジェクトそのものは、まったく先に進まなかった
始めようとすると、すぐまた誰かがトラブルを起こす、誰かと誰かがぶつかりあう。

その繰り返しで、いつまでたっても始まらなかった。
そうしているうちにプロジェクトを続けることもできない状態になっていく・・・

今の私には思い出す力ももうない。
今でもすごく小さな平和プロジェクトを友人と続けてはいるが公開するつもりはない

 

救ってくれたのも人間関係

その間、私を救ってくれたのは仕事だった
もちろん、仕事の関係だけでなく、多くの友人知人の励ましやサポートのおかげで、
自分を否定することなく、責めることなく、ここまで自尊心を失わずにこれた

世の中では普通、仕事こそストレスの元凶のように言われているが
私には癒しだった。仕事をしていると素晴らしい気持ちになれた。
それを喜んでくれる人々のおかげで、ますます素晴らしい気持ちになれて
自分を「ダメ人間」と思わなくてすんだ

厳密に言うと、もちろん仕事のやりがいや楽しさもあるのだけど
クライアントさんの喜んでくれる言葉の数々が私を支えてくれていた

やはりここでも、大事なのは人間関係なのだった

 

こうして、人間関係がいかに行動を、活動を、創造を左右するかがわかると思う

良い人間関係があるところではそれがなぜか続く。
私は仕事で、良いクライアントさんだけを集めようと意識したり意図したことはない。
でも、自然とそういう人達が集まっていた

一方、わるい人間関係があるところでは、
それをどう修復しても修復してもしてもしても、
どうしてもそのわるい波動からは抜け出せないようだ

どんなに平和プロジェクトであり、愛が必要だといっても、
それさえ、バカにして暴言する人達を
今でも思い出しては、寝ているときうなされるほどだ。

何かのエネルギーが、間違っていたとしか思えない。
まったく嚙み合っていなかったとしか思えない。

今思うと、非常に低い波動の、
私の触れるべきエネルギーではなかったもの(人間関係)と触れ合い、
無理に方向を変えようとしていたのだろう

エネルギーは集合的なものや他者のものでは、自分では変えられないからこそ
付き合うエネルギーも選ばなければならない

でも、どういうエネルギーが運命によって運ばれてくるのかは、神のみぞ知るである
しかし、これは平和プロジェクト。集まる人達は当然普通よりも意識高い系の人だろうと思っていた
私も、まさかこんなに大変になるとは思っていなかった

 

ラインでの出来事と、良くない人間関係

 

さて、人間関係の大切さについて書いたけれど、
それは仕事でもスピリチュアルな活動でも友情でも同じことだ

昨日私は、長い間音沙汰もなく返信もなく言葉を交わすこともない人々へ、
一言書いてラインから友達削除させていただいていた

個人アカウントを公開したものの、友達申請はごく当たり前のようにやってくるのに、
結局、何も言ってこない人があまりにも多かった

この人達はなんのために私とつながっているのか?
なぜ、なんのためにつながってきたのか
正体不明な人が多いのか?

自己紹介もなく、挨拶もなく、その後も会話もスタンプもなく、
ライン上に友達が増えるというより、自動ロボットが増えていく感じがしていた

こうした得たいの知れない、不気味な、
交流も深まらない関係性も、自分にとっては良くない波動だと思った

だから、ラインの友達整理をすることにしたのだった

ラインを整理したときには、ある種の重いエネルギーがすっと抜けていく楽さを感じた

ところで、この作業をしているときに、怒りのメールが入ってきた

一言付け加えておくが、相手は私の全く知らない人であり、実名も、顔も、存在があるのかどうかも、
人間かAIかも、男か女かもわからない、私にとっては「ただのアカウント」でしかなかった

正体不明で、自分についても語らないし、前回の記事でも書いたように、
いわゆる「写真のない」人だったので、私には正直不気味な存在だった

最初に、サイトを見ていろいろ共感しましたというメッセージをもらったことがあるが
何に共感したんだかまったくわからない。
現に、私が強調してきた「スピリチュアルは自分で成長していくアート」とか「ヒーラーは所詮、ゲスの極み」
「ヒーラーに期待してはいけない、スピリチュアルな業界は飽和状態で人間臭い」「結局はあなた次第」

などの大事な記事は、後述するが、どうも全く読んでいないようだ
でなければ後述するような行動もしなかっただろう

そしておそらく、「サイトの記事いろいろ共感します」とかなんとかいう、

それだけしか交わした言葉はない

そういうわけで、まず言っておきたいのは、私自身、まったく個人を特定できない人のことなので、「相手」といっても人間なのかもわからないし、個人情報の漏洩や起こったことについての守秘義務にはつながらないということを前提に書いている

さて、この人はなんのために私と繋がっているのか?

「ラインで繋がったものの、私は返信もいただいておりませんし、
これ以上繋がっていても両者の成長に何の役にたつことはないと思いますので友達を削除させていただきます。

そして、こちらが何かメールを送った時には最低でも何か
反応していただけないでしょうか?無視されるということは、相手を傷つける行為ですよ。

これからは、
誰も傷つけないでください。」

という言葉が、いつも通り私の直球文章だったことと、
何であれ自分を責められたことに相手は腹が立ったのだろう

今まで無視だったのに、今回は速攻で返事が来た

”返信って言ったって、ただのコピペの一斉送信に何を返信する必要がある?
あなたのおかげでスピリチュアルの
裏世界が見えた。”

とかなんとかいう反論だったと思う

確かに私は個人アカウントに入ってくる人に対してメールお知らせを一斉送信していた
同じ文章をコピペして、各自に送ることは、
特にワークショップなど事務的事項が多い場合いつもしている

送信する人数が多い場合、申し訳ないけれど、
1通1通、誰かを想い気遣って違う文章を書いている時間はない。
ないので、便宜上そうさせてもらっているが、それでも申し訳ないから、
一人一人にその人にだけのメッセージを
加えるようにはしている。
それだけするだけでも、朝が夕方になっていることもある。

皆さんは、そのことはご存知だろうと思うし、
実際にGmailなどでは一斉送信機能で送っているから、
最初からそれは織り込み済みのことと思う

また、一斉送信している中身だって、人に伝えたいから一生懸命に書いた文章には変わりがない
事務的なこともあるけど、本当に伝えたい言葉も書いている

夢のある言葉や個人的なアドバイスなどは書けなくても、
繋がるということを維持するためにお知らせを送る
でも、その顔のない人からはそして多くの人からは返事はなかった

ただのお知らせと思っているかもしれないが、私としては
何と寂しいことだったろうか

そのうち、誰も読んでないなと思い、書きもしなくなった

コミュニケーションを大事にしない人には、私もコミュニケーションをとらない
時間の無駄だ

そんなわけで、私には私なりの作業と労力と感情と思いがあった

それでも、まず返事をしなかったことに対する謝罪もなく、いきなり責めてくる。

私はその言葉に、つまり「裏世界が見えた」という言葉に、もうこれ以上我慢できなかった

私はキレた。完全にキレた。ヒーラーを舐めるな。スピリチュアルをなめるなよ。

だから今書いているのだけど。

 

裏が見えただと?
こんなちゃちいやり取りぐらいで、何が見える、何が見えたというのだ?

そもそも私のメールを無視しておいて、何の交流もしていないのに
一体何からどうやって裏社会を見たというのだ?

 

腹立ちまぎれにスピリチュアルな
世界をバカにしてはいけない

私のことだって、一体何を知っているというのだ?

ラインで友達申請しただけではないか。あとしたことはある?
何もない。情報交換どころか会話もない。自己紹介もない。写真もない。誰かもわからない。
ラインで申請しただけで、「何かがわかった」などと簡単に言うものじゃない。

本当に、一体どうやってそれでスピリチュアルの裏を見ることができるのでしょうか
私の厳しい言葉に、単に腹が立っただけでしょう

それを、スピリチュアルの裏だとか、知りもしないことを堂々と攻めてくるとは、

それは、この世界、この業界にいて真摯に頑張っている人すべてへの侮辱である

この人はその時点で、霊的な能力を持ちかつ愛と誠実さで頑張っている人達を
侮辱し、批判し、よく知らないのにわかったようなことを言って
傷つけ、敵にしているし、スピリチュアルの尊厳をけがしたとまでいえる

確かにスピリチュアルはいろいろ問題とか競争とか意地悪とか詐欺とかがあるへんちくりんな世界である
でも、本当のスピリチュアリティ、スピリチュアルな高次の世界は、そんなことは全く関係なく
私たちの源であり、生命の源泉であり、理解できなくてもしていこうとすることで魂は成長する

自分の怠惰を棚にあげて、一方でスピリチュアルな世界をさも分かったように
決めつけ、罵倒するその態度には、

スピリチュアルな世界などにほんの僅かも触れることのできない
低レベルな憎しみの波動を感じた

ヒーラーはこういう人のエネルギーはすぐに見えてしまい、未来さえも見てしまう
本当に怒ったヒーラーなら、何をするかわからない
霊的な能力は普通の人の次元を超えている
あまりヒーラーを舐めないほうがいいし、ヒーラーを敵にまわしても、普通の人には勝てない

自分の感情にまかせて、ろくろく知りもしないのに下手なことは言うものじゃない
スピリチュアルというものについての敬意は、常に持っているべきだ

それが私たちの根源であり、それが崇高で逆にどこまで厳しいのか、わかっていない
因果は、必ずこの顔のないロボット人間に返ってくるだろう

 

批判だけして逃げる人は、実は何の正当性も
批判する明確な理由も持っていない。

こうした人の批判は、正直取り上げるに値しないほど幼いものであり、
感情任せで理性に基づく考察や知識に裏付けされていない

個人的な怒り、しかもこういう人に限って、
すぐに怒りをあらわにし、暴言を言う割には、「議論を嫌い逃げる」傾向が強い

きちんとディスカッションすれば、自分には言い訳のできることがなく
裏付けもなく、ただ感情的になっているだけとすぐにばれるからだ
その証拠に、この顔の見えない人は、悪口を書いてすぐに私を削除した

私からの反応がこわかったのだろう、でも悪口はいいたいと。

自分に自信のある人は、語り合うこと、語り合いで解決することから逃げない
むしろそれを公平と思い、好む傾向がある

例えそこでケンカ腰になろうと、長い議論でつかれ、時間を費やすことになろうと
話合うことから逃げない。それが一番理性的で、人権を尊重する公平さのある解決だとしっているからだ
そしてそういう人は、自分なりの裏付け、知識、信念を持っているから、
語り合うことをおそれない

もしあなたの周りに、ただ悪口、暴言、むかつくなどの汚い言葉、批判などを
言うだけで、正面から話すことから逃げる人がいれば、
その人は自分に自信がないし、自分のしたことにも実は何の正当性もないということを
実はわかっていると思ってほしい

事実、そこには正当性も、弁解の余地も、ないのだ
この場合もそうだが、自分が無視してきたという非があるために、
余計に弁解の余地がなく最後には謝るしかない。最初から負けなのである。
そこにはただ、マイナスの感情だけがあり、ヒステリーを起こしただけ、ということを
認めたくないから、ひたすら逃げる、ブロックする、会話をしない、言葉を持たない。

 

スピリチュアルを崇拝していた人が、
いきなり背を向ける
一般的な傾向とは?

さて、ようやくここで、この記事で言いたかった本題に入ろう

スピリチュアルなことに人生を、そして人生の苦しみからの脱却を頼ろうとしている人には
100%とも言えるほどの共通点がある

私から見れば、こうした苦情や不満を言ってくる人達は100%、苦しみをスピリチュアルでどうにかしたいと縋り付いている。そして、そこには行動パターンに一定の流れがある

最初は、私をまるで崇拝するかのように褒めに褒めて褒めまくる

私のブログを崇拝するように読むか、セッションを受けまくる

しかしある時、何かの拍子に、私の何かが「気に入らない」と思う時がある
人間だから当たり前なのだが、彼らにとっては、ヒーラーだと許せない、許されないのだ
そして、その時、一瞬にして、私への崇拝が消え、今度は怒りに変わっていく

あっという間に要らぬほどの愛情は怒りと憎しみ、批難と不満に変わってしまう

 

…というプロセスを必ず、踏むのです

 

だから、私は私のことを異常なほど褒める人や、
崇拝でもされているのかと思うほど腰低く拝むかのように眺めてくる人
素晴らしい、素晴らしいよ!とかあなたは特別中の特別とかばかり言う人には
必ず用心している
100%といっていいほど、最後は何らかの文句か
ああだのこうだのの個人的な言い訳を言って、去っていくからだ

 

こういう人は、多いわけではないが、でも決して少なくない
他のヒーラーと話していても、こうした被害に合っている人は多い

というより、苦情人の100%が、こうしたまったく同じ傾向をもって、
怒りや憎しみをますます大きくしていく様を、私はもう何年も見てきた

私はそういう人にあって怒鳴られても、今まで黙って耐えてきましたが、

今回の件には完全に、酷い失望とスピリチュアルに対する冒涜を感じたため、
スピリチュアルな世界にとっても、そこでそれを仕事にする人にも、
そしてスピリチュアルなことをベースに成長する人にとってもいいことではないので、
あえてここで超・苦言を呈しているのです

 

スピリチュアルなことに心酔したあと失望し、
怒りに落ちていく人のタイプ

なぜなら、こうした人達の、まったくと言っていいほど同じ
傾向と行動パターンには、明確な理由があるからです

まず第一には、苦しみをすごく大きく抱えている。本人はそれに気づいていない場合が多い。

だから何かにすがりたい、そこで、スピリチュアルというものにすがろうと決めるのだ。
すがれば幸せが来る、というような本ばかりが売られていることにも責任がある。

 

第二には、単純に、一方的に自分を愛してほしい。愛が足りていない。

愛に飢えている。完全に愛に飢えている。愛が枯渇しているため、
どうしても、何が何でも愛がほしくて、スピリチュアルというものなら、
なんか無条件の愛とかいっているし、私が欲しい巨大な愛をくれるかも、という
安易な願いだけでそれにすがりつく。

女性の場合は、いろいろな優しそうなヒーラーのところにいきまくり、
大金をはたいてヒーリングと称するものを受け、愛のアファメーションをやり、
とにかく人任せに愛をヒーラーから吸い取ろうとする。

スピリチュアルに救いを求め、
挙句に文句を言う女性・男性の行動パターンの違い

スピリチュアルに救いを求めている人といっても、男性と女性の場合は
同じ渇望感の強さをもっていながら、行動パターンはずいぶんちがいます
これは女性性と男性性と出方の違いでもあります

いずれにせよ、私には出会ったその時から、
その人との関係関りが長続きするか、凄く盛り上がって短期間で消えるか、
大抵はわかってしまいます
それはその人の、私に対する、期待値、期待度。スピリチュアルに対する要求度と理想化度。
自分で何とかするというより、結局人を頼って幸せになろうとしているかどうかなどの考え。

その人の持つオーラが強いか、はっきりしているのか、それとも弱いか、などで
一瞬でわかってしまいます

だから、盛り上がっても、楽しんでも、お茶会しても、ワークしても
褒められても、いつかは去っていくということが分かっている
それは、その人が何度も、一生繰りかえすことでもあるのです。

さて、女性と男性の違い。

女性の場合は、とにかく頼って頼って頼ろうとする。
大事にされようとする
現代の女性は、何歳であろうと、ものすごく愛を求めています
でも自分に自信がない、自分を癒せてない、自分を客観視できていない、勇気が持てない、
などの理由で、愛を得られず、むしろ愛から遠ざかるような生き方をしてしまいます

だから、それを何とかしてヒーラーやセラピストから搾り取ろうと無意識のうちにしてしまいます

女性は、愛されたい生き物です
愛されてこそ自分の価値を認められ、愛されてこそ幸せであり、
愛し愛されの理想の大ロマンスを求める気持ちが強く、
常に愛されて構われてケアされ心配してもらっているかに敏感で、
愛せていない人ほど、その「ロマンス」を求める気持ちはどんな人間関係においてもそうなってきます

だからこそ、スピリチュアルに期待し、救いを求め、誰かを崇拝する傾向のある女性は、

少しでも大事にされていない!と思うと、すぐに拗ねて、いきなり怒りに燃え始める。気に入らないことがあると、面白くないから、女性特有の、ねちねちした意地悪をする

今までとてつもなく私を褒めに褒め、現代最高のヒーラーだとか、あなたのような人は他にいない、
あなたしかいない、などなどとても思いつかないほどの褒め言葉を言っていた人が、急変します

何でも、自分の思い通りになってほしいというスピリチュアルに対する強い願望と夢がいっぱいで
それが期待外れだと、般若と化す

 

一方、男性の場合は、直感や感覚を信じられないので、
スピリチュアルに救いを求めるときは、
まずひたすら知識を積みます。
知識で納得できないと気が済まないので、観えざるものを感覚でとらえようとはしません

講座に行ったり、本を穴が開くほど読みまくったり、やたらに用語を覚えたり、
ディスカッションの会に生きまくってそういう話の得意な人になります
でも自分自身にはますます、自信がなくなるのです。
なぜなら体験がいつまでも伴わないからです

そして、やがて先生と呼べる人についていきたいと思い、誰かに吸い付くと、崇拝したり、本を読みまくり、
スピリチュアルを勉強しまくり、知識で何とか理解し安心しその人を追いかけ、追いつこうとする。
そして、尊敬できる偉い自分よりすごい「先生」を、ついていける先生を、求め続けます

スピリチュアルに救いを求めすぎている、理想化しすぎているタイプでは、
男性では、そういう人がやってくる場合が多いです

最初は、私のブログを見て大層感動したとかなんとか、読み切れないほどの長文メールをよこすのだが

段々、自分の思っていた通りに崇拝できる相手でもないな、大したことがないな、と思うと
今度は離れていくための弁解と理由を長々と説明してきます

そこには女性のような愛されてない!私を見てない!構ってくれない!という怒りより、

失望と興ざめが見えてくる

崇拝していたものが、実は「ただの女」だった、と言うように見えた時に一気に冷めます
そして追いかける理由を失うので、そこから一気に去っていきます
ただ女性のように、愛されていないから、とは思っていません
女性と同じく、愛されたいからスピリチュアルに救いを求めているのだが、それは無意識です
ただ、自分の理想とするスピリチュアルの核心をこの人物は持っていない、とか、そういう「理屈」で考えます

興ざめすると、恋愛しているときと同じく、
興味を示さず、段々離れていきます
そして、最大の言い訳は
「もっとやるべきことが見つかって、それに集中したいから、今は君とは話せない」です
これは去っていく人の100%がこういいますね
そしてよく聞いていると、多くの人が、スピリチュアルに関係する事柄で、もっとでかい存在になりたいと
いう野望をもっており、それをかなえるためにもっとでかい存在を崇拝するようなるか、
最終的には自分がビックなスピリチュアルの宣教師的なものになりたい、と思っています

それでは私ではだめだということです
私の本性、私の情けない部分も含め、弱い部分も含め、寂しがりやで、ネガティブで、
短気で、悩みがちなただの普通の、いや普通より魅力ない本性を知ったとたん、こいつじゃだめだと思います

そして、その時から、男性にとっては、「ただのうざい普通の女」に見えてくるのです
そして、恋愛で離れるときと同じような過程を経て、忙しい、という決め手の文句を言って去ります

だから、そういわれたら、体のいい拒否だと思って、こちらから「さようなら」と先に言ってしまいます

大体、女性は男性が忙しい、と言い始めたら終わりが来ていることくらい直感でわかるのですがね。

 

確かに、本当にもっとすごいやるべきことや使命が見つかる場合もあって疎遠になることもあるのですが
別にそこでお別れしなくてもいいでしょう。話すことはいきなり、何もなくなりますか?
あれだけ誉めそやして、これ以上のヒーラーはいない、ようなことを言っていたのに?

こういう男性たちも、最初は褒めるだけ褒めてきますので、そういう人は、どこかで警戒しています
警戒なんてしたくないけれど、結果として自分が傷つくから。
もう傷つくのが嫌だから。
極端に褒めるなんて、大体変じゃないですか、私のすべてを知っているわけではないのに。

でも、褒めて褒めて誉めそやす、でもそうされても、嬉しくはありません

そういう人は、誰かをとにかく理想化・偶像化したいのです。
この偶像崇拝は、男性のほうが強いです。

愛に飢えている女性は、ただただ愛して愛して愛をくれさえすればいいと思っているのに対し、
愛に飢えている男性は、愛とかを意識するより、偶像なんだけど、自分の思うような「スピリチュアル」を体現している何か強いものが欲しいのです。

そこには、母性だけでなく父性の欠乏もあるのです。自分の父親が尊敬できる人間ではなかったため、
父とうまくいかない関係だったため、外に、スピリチュアルに「父」を求めます。

まあ、女性にせよ男性にせよ、こうしてスピリチュアルに自分が欲しかった本当のものを求めてくる、
そういう人は、決して少なくありません。

一言言いたいんだけど、

ヒーラーに隠し事などしてもしょうがないよ
ヒーラーは人の心や、人によっては今していることさえ見えるのだから
下手な言い訳をしてもその場でばれる
どんな理屈をこねようと、感情を訴えようと、その人の心にある本質が見える

こうした困った人達、去っていく人のそれは100%、愛の欠如です

 

とにかく、スピリチュアルに愛を乞う人々は、
こうして、愛のなさの愛の欠如をなんとかスピリチュアルなるもので埋めようとする

ヒーラーが何とかしてくれると思いこんでいる
ヒーラーは何とかするものであり、私のことを何とかすべきものなのだという思い込みに変わっていく

 

第三には、スピリチュアルとはこうでなければいけない、
という思い込みがものすごいということ。

特に自分が崇拝しているヒーラーやヒーリングティーチャー、スピリチュアルメンターなどを、
ブッタが再現されたぐらいなほどに聖人化し、少しでも自分の気に入らないことや言葉が出てくると

あっという間にその人に「失望」して、ついでにスピリチュアルにも失望して、
それでも愛がほしいから、また立ち上がって新たな「愛をくれそうなヒーラー」を探すジプシーとなる

こういう人は、病的な行動に出ることが多く、よってスピリチュアルよりも
違う領域の専門家にみてもらったほうがいい

ヒーラーにあまりにも心酔しすぎて、その存在を恋人や母親と勘違いし、
少しでも裏切られたと思うと、おそろしい怒りで攻撃してくるからだ

あるいは、男性の場合だと、なぜだ、なぜ出会えない?と悩みすぎ考えすぎて
ヘンな方向に行ってしまったりもする

第4には、こうした人々は自分を客観視できないので、
自分が傷ついたことばかりに文句を言い、
自分が人と傷つけているかどうかは全く考えていない

スピリチュアルに愛と理想と人生と哲学と悟りと癒しと絶対的崇拝存在を求める人の
共通点の最大のものは、傷ついたかわいそうな自分は、ものすごくよく見えているんだけど

そういう自分の振る舞いが、結局人を傷つけていることには無頓着ということです

とにかく自分が愛が欲しいとか、理想的なスピリチュアルに出会いたいとか、
悟りを与える偶像が欲しいとか、あまりにも愛に飢えているために思いすぎていて、

結果として、人を、ヒーラーを、周りの人を、巻き添えにし、振りまわしてしまいます

でも、そうしてることにさえ、気づいていません
自分はただ傷ついた、また傷つけられた、またこういうヒーラーに会ってしまった、
また理想とは違った、こんなもんかお前は、こんなものか俺が崇拝していたスピリチュアルは?

ということばかり意識が向いて、

自分ではそのために苦労と努力を重ねているつもりだけど
周りからすると、愛に飢えている故の繰り返しをしているだけです
そして、いつも失望に終わるので、もっともっとと野望は強くなり、
求めるものも大きくなります

失望、野望、失望、野望を繰り返ししています
そして、その間に、怒りや憎しみ、苛立ち、腹立ち、がっかり感、失望、落胆などが肥大化していきます

つまり、表面的にはスピリチュアルとか、愛とか許しとか言うのが大好きなのですが
心の中は暗ーい恨みでいっぱいになってしまっているのです

こんな悪循環はもうやめませんか?
何度も書いてきたことなんですが、どうしても理解されないことです
でも、スピリチュアルに期待などするくらいなら、いっそのこと、すべてやめたほうがいいです

 

スピリチュアルに失望すると、
すぐ憎しみに変わる人が、

今すぐほしい本当のものとは?

スピリチュアルにすがる。
スピリチュアルに理想を求める。
スピリチュアルに頼る(そして自分は何もしないか無責任に生きる)。
スピリチュアルの何かを特別崇拝する。
スピリチュアルを他者にも押し付ける。
スピリチュアルなら幸せになれるはずだと信じてやまない。
スピリチュアルな能力を持つ人をなんだかんだ特別扱いし、好きなら崇高な存在としてあがめる。

そしてその崇拝のための物質的象徴である、「実際に会えるヒーラー」は、
彼らにとってはまるで天使か神の化身のようで、説得しても聞かないほど心酔し、
絶対に自分を救ってくれる、愛してくれる、無限に愛をくれると信じてやまない

こういう人たちが、本当は何を求めているかわかるだろうか?
私がいろいろスピリチュアルヒーリングを学び、スピリチュアルヒーリングを人にし続けてきて
思ったことは、彼らが求めている本当のものは、スピリチュアルヒーリングでもないし、スピリチュアルな
哲学でもないし、スピリチュアルな瞑想などの実践でもないし、スピリチュアルヒーラーでさえない。

実は、彼らの本当に心から欲しているのは

母性である。

そしてまた、父性である。

でも、まず圧倒的に母性であることが多い。

そう、圧倒的に母親。ヒーラーは実は母親がわりなのだ。
ヒーラーに母親を見ているのだ。だから怒りも失望も、半端なく強くなり、
ヒステリーの度合いも、家族に対すると同じになる。

 

現代の女性は、自分が母親かどうかに関係なく、多くの人がまず、
母性を、母性愛をたっぷりもらうことに失敗して失望している。
その幼いころの傷は、おばあさんになろうと取れない。

現代の女性が求めている最大のもの、それはスピリチュアルでもなんでもなく、
ひたすら、お母さんの優しい愛だ。母性愛だ。

つまり、言い換えればインナーチャイルドが傷ついているということなのだ。
インナーチャイルドが中途半端じゃなく傷ついている。
だから、一見わからない

本当に傷が深い人ほど、一見してわからないものなのだ
彼らは気づきたくないがために、隠して知らないふりをして記憶を消して生きている。

だから、潜在的な傷になってしまい自覚ができない。
そして、その傷を、スピリチュアルで埋めようとする
「私はスピリチュアルって素敵だと思う。これで幸せになり、誰かを幸せにしよう。愛のある世界にしていきたい」などと言うが、本当に欲しいのは自分自身への母親からの愛なのだ。自分では、なぜスピリチュアルに魅かれ、なぜヒーラーに特別入れ込み、なぜヒーラーの少しの失策でも許せないほど腹が立つのかわかっていない。

とくに、愛をくれそうな、素敵なサロンの素敵な優雅なマダム系の優しいヒーラーが大好きで
そういう人のところを多くかよい、いくらでも金は出し、崇拝する

そして、でもいざ何かに傷つくと、
「私あなたの言ったことに傷ついた。あなた、わたしを傷つけた」と言って暴れる。
怒りが火山爆発するのだ。

しかも、ほんのちょっとしたことに傷つく。
しかも、自分もかなりわるいのに人のせいにして傷つく。
しかも、最近はエンパスなどの、彼らの責任を転嫁できる言葉が出ているので
「私はエンパスだから」と言い訳する人が増えた。

自分のほうの責任はまるで見えていない。
見えるのは「この人は私を傷つけた。この人は悪だ。わるいひとだ!この人は愛してくれない」

つまり、言葉から見てもわかる通り、その人のうちにある傷ついたインナーチャイルドが
騒ぎ出しているのだ。

 

子供は、親が構ってくれないと、すねたり甘えたり文句を言ったり騒いだり、
いたずらをしたりお漏らしをしたり、大声を上げたり人に迷惑をかけたり、実にいろいろなことをする。
それと同じで、傷ついたインナーチャイルドを抱えた人は、ずっとそれを繰り返している。

だから、一度すごく崇拝されてしまったヒーラーは、後処理は大変なのだ。
だから、私は「あなたのブログすごいです」「あなたが大好きで最高です」とか言われると
まず100%怪しい、と思う。そしてまず100%その人は遅かれ早かれ、私の前を去っていくと知っている。

まさに、100%去っていく。

なぜなら、例えその人にとって私がどこか、崇拝するべき様な存在に一瞬見えちゃったとしても
その気持ちは、ちょっとした何かの「気に入らない言動」を相手が見つけたとたん
消え去り、その後には怒りの嵐が吹き荒れるのを何度も見てきたからである。

私はその人達の期待通りに生きているわけではない。
私にも欠点や失敗はあるし、私にも怒りやかなしみや恨みがある。
彼らは聖母マリアを求めているので、そんな言い訳は許せない。

 

こういう人たちは、本当に愛を求めるべき相手を間違えている。
本当に愛を求めるべき人達は、その人の母であり、父である。

家族の愛の問題は、根が深い。とても根が深い。
そしてとても解決が難しい。
結局、愛は両親からもらえない場合のほうが多い。

でも、それでも、真実、その人の本当に欲しい愛を持っているのは親であり
その人を本当に愛せるのは親であり、その人を本当に癒せるのも、特に子供のころ
たっぷりと親に愛された、という確かな愛なのだ。それを、魂が求めているのだ。

これは、親が反省して、大人になってから愛をくれればまだ、癒しは起こる可能性があるが
ほとんどの場合、愛はなく、インナーチャイルドは救われない。

以前にも書いたが、昔セラピストの養成講座に行っていた時、参加者同士で食事をしていて、
ある高名なセラピストが訴訟を起こした、という話をある人が噂話として面白おかしくしたら、

参加者の一人が怒り出した。その先生は、そんな訴訟なんて、「愛のないことをするはずがない」
というのだ。そして訴訟なんて怒りの象徴で、恥である。高名なヒーラーはそんなことをしない。
とかなんとか、騒ぎ出して、ついには、大泣きしだした。
誰もどうしようもないほど大泣きして大暴れしだした。
そして私たちみなを憎んだ。
よくもそんな話を聞かせてくれたな、お前たちは悪だとかいろいろ言われて、
我々は悪玉菌にされた。

それで、自分では「とてもいいセラピストになれると思う。」などと言う。
そして、どんなことが合っても自分は悪くなく、ただインナーチャイルドが傷ついているからなの、
とすべてに言い訳をしていた。

こういう人が多いということなのだ、スピリチュアルにはまる人の中には。
あの顔のない主も、そういう人なのだろう。

だからせめて、インナーチャイルドセラピーや、インナーチャイルドを癒す方法を自分で見つけて
それで頑張って乗り越えていくしかない。インナーチャイルドの傷は世界一重く、一生の付き合いになる
でもそれでも、インナーチャイルドと向き合って自分が育てていかなければならない

スピリチュアルによっては、インナーチャイルドは癒されないよ、
ヒーラーはあなたのお母さんじゃないよ、と言い聞かせる必要がある

そして、自分がインナーチャイルドの母親、父親になる必要がある
そうなれないほど傷ついている場合は、一生かけてこの分野の専門のセラピストに
補助してもらうしかない。そしてそこでも、決してセラピストを母親父親と思いこんではいけない。

 

スピリチュアルに生きるということは、自分の主権を持つことであり、
自分は自分であるという、自分は本質的な自分を愛して尊重するという
そういう道であり、修行並に厳しい道でもある

そういう道は、インナーチャイルドのなんとかかんとかと言って泣き出したり
人につばをはいて(つまり悪口をいって)、自分はこわいから即ブロックするような人には
決して歩めない。そういう人達は、まずインナーチャイルドヒーリングから徹底してやるべきだ。

そして、その後にスピリチュアルな道がおのずとやってくる。
スピリチュアルな道は、大人が歩むもので、傷ついている子供が決意して歩むところではない。

でも、全てにおいて完璧にインナーチャイルドが癒されている人はいない。
誰でも親とは何かあるし、何かで傷ついている。だから、全てを癒すことは目指さない。
ある程度、自分で内なる子供を癒せる、面倒見られるようになったら、思い切って、
スピリチュアルな道、本当に自分が魂からしたかったことにチャレンジしていく。

でも、とにかく言いたい。

あなたの傷ついているインナーチャイルドは、小手先のスピリチュアリティでは癒せない。
ヒーラーはあなたの母親ではない。あなたはあなた自身の力で、癒しの道を行く勇気を持つしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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